福岡まどか(大阪大学)
1 はじめに:ダンス・演劇活動の現状
筆者はインドネシアのダンスや演劇などの活動を中心に東南アジアの現代アートシーンに注目してきた。これらの上演芸術の分野では伝統的な演目のみならずコンテンポラリーの分野においてもインドネシアのアーティストたちの興味深い活動を見ることができる。
現状ではパンデミックのために現地で上演を直接観ることは難しいが、最後にインドネシアに行ったのは2019年11月のバリ島・デンパサールであった。インドネシアを含む東南アジアと日本・台湾・香港などのアーティストが共同で行った現代演劇『遮られた夢 (The Interrupted Dream)』の上演が国立芸術大学デンパサール校の講堂で行われた。中国の『牡丹亭 (The Peony Pavilion)』という物語を題材にしつつ舞台をフランス・ヴェルサイユに移したという設定のもとでダンスや演技が披露された。一見意味の分かりにくい現代演劇の上演を世界有数の芸能の島であるバリの人々はどのように受け取るのだろうか?という筆者の心配をよそに集まったバリの人々は上演を堪能していた。観客には芸術大学関係者や現地のアーティストも多かったが彼らはこの現代演劇の意味するところを気にかける様子はなく、スキルの高い演技には喝采を送り美しい演者には歓声を上げて舞台上での現象そのものに素直に向き合っていた。その相互作用を見て演劇上演の意味や楽しみ方について改めて教えられた新鮮な体験であった。
また2020年11月にはIndonesia Dance Festival 2020と題するコンテンポラリーダンスのフェスティバルがオンラインで行われた。コアの作品群とともに若手ダンサーの新作やダンサーの活動軌跡に関する映像などが披露されパネル・ディスカッションやセミナーも開催された。2020年のタイトルは「方法を模索する(Cari Cara)」となっており、パンデミックの状況下でどのようにしてオンラインでのダンス・フェスティバルを行うことが出来るのか?ということに人々が向き合っていく姿勢が示された。印象的だったのは主催者の一人が述べた「これまでにもインドネシアでは経済危機・災害・政変などでダンスどころではないという状況はたくさんあったが我々はフェスティバルを続けてきた。今回もパンデミックの状況下でどのような開催方法が可能なのか考えていきたい」という言葉であった。オンラインでのダンス上演には制約も多い一方で、各地の参加者の上演を取り入れた映像作品をはじめオンラインならではの興味深い作品も提示された。パンデミック以降インドネシアの上演芸術の分野ではオンライン上演が急激に普及し定着した感がある。このフェスティバルはインドネシアの人々のたくましさや柔軟性に感銘を受けた機会でもあった。
2 上演芸術の集団とコレクティヴ、現代アート
ダンスや演劇などの上演芸術は元来集団で活動を行うことが多く、その集団を指すのに使われるのは「サンガル(sanggar)」、「ストゥディオ (studio)」などの言葉で私塾や練習場の意味となる。中には芸術家集団というだけでなく地域コミュニティ内外に働きかける多様な活動を行ってきた集団もある。たとえばジャワ島ジョグジャカルタを拠点として1994年に結成された劇団「テアトル・ガラシ(Teatre Garasi)」はガジャマダ大学内の集会から発展した劇団で政治・社会体制に対するカウンターカルチャーの発信拠点として活動してきた(ガラシはガレージの意)。またジャカルタ近郊を拠点に体制批判の活動を展開した詩人レンドラの率いる劇団は「ベンケル劇団(Bengkel Teatre)」という名称で呼ばれる(ベンケルは修理工場、練習場の意)。どちらも芸術家たちの集まる場であり練習場であるとともに、彼らの主張や考えを議論し発信する場でもある。
このサイトのステートメントの中で羽鳥悠樹氏が述べている「路上での哲学」、あるいは初回の講義で廣田緑氏が述べた「nongkrong (集まって喋る)」、「nebeng (同行する)」、「nyantrik (弟子入りする)」の3つのNに示されるように人々が集まって考え議論すること、またそれに基づきともに行動し表現することを重んじる文化的土壌はインドネシアの特にアーティスト集団には伝統的に見られる傾向なのかもしれない。
現代アートの「現代」という言葉にも少し触れておきたい。ダンスの世界では「コンテンポラリー」という概念は1950年代終わりに欧米でダンスを習得したジャワ人ダンサーのバゴン・クスディアルジョらによって導入されたと言われる[1]。バゴンは帰国後の1958年に自らの名を冠した練習センター(PLT Pusat Latihan Tari)を開き創作活動と後進の指導に従事した。多くの興味深い作品が生み出されていったが、当時のバゴンの創作は「新作(kreasi baru)」と呼ばれることが多かった。「コンテンポラリー」がさかんに使われるようになったのは1990年代以降ではないかと思う。筆者はジャワ島バンドンで調査を行ったが、1990年代以降インドネシア語の「コンテンポレール(kontemporer)」という言葉を芸術大学などで頻繁に耳にするようになった(現代演劇の中には、前述の劇団テアトル・ガラシのように「アヴァンギャルド」を標榜する集団もある)。伝統文化に対峙しつつ創作活動を行い新たな作品やジャンルを確立するという営為は従来も継続的に行われていたが、それらが「コンテンポレール」として注目されるようになった背景にはおそらく他分野、特にビジュアルアートの分野における「コンテンポラリー」への注目が高まったことも関係しているのではないかと考える。
そのように考えていたところで「コレクティヴと考える」の企画を知った。インドネシアを対象として地理的特徴、活動の種類、集団の規模などの面で多様な8つのコレクティヴのメンバーを招聘しトークセッションを行う興味深いシリーズであった。東南アジア現代アートの展示『サンシャワー―東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで』のカタログの中でチーフ・ディレクターの片岡真実氏は「東南アジア現代アートの開放性」に関して述べ、今後の展望としてコレクティヴへの着目の重要性を指摘している[2]。今回の「コレクティヴと考える」は片岡氏が指摘したようにコレクティヴに着目し現代アートの開放性を考えるという観点からも画期的な企画であると同時に、パンデミックの状況下でのコレクティヴの現状に着目したという点でも意義深い企画である。インドネシアの地域的な広がりも重視されておりジャワ島、スマトラ島、スラウェシ島、ティモール島などを含む多様な地域のコレクティヴがそれぞれの地域文化に向き合いつつ所在地の特性を活かした活動を行う現状について知ることができた。以下に筆者自身の感想も含めて(1)ジャンル間の交差と領域横断性、(2)アーティストたちの柔軟性という二つの観点からインドネシア現代アートシーンの特徴を検討してみたい。
3 ジャンル間の交差と領域横断性
インドネシアのアートシーンを見て強く感じることは多様なジャンルを横断し統合する芸術活動が見られることである。上演芸術の世界では音楽・ダンス・演劇・文学・詩の朗誦などが総合的に結びついた舞台芸術が発展してきた。同様に現代のアートシーンにおいても多様なジャンルを交差する活動を見ることができる。文学作品やコミックの演劇化や映画化の事例は比較的イメージしやすい例であるが、それ以外にもコミックと演劇が相互に影響し合う事例、映画作品に基づくインスタレーション創作の事例なども見られる。また一人のアーティストがダンスの作品も演劇の作品も創る、あるいは映画監督が映画も舞台上演も監督するという事例もある。
このようにジャンル間を横断する活動はインドネシアのアートシーンの特徴のひとつであると考える。今回のシリーズに参加してその考えはますます強まった。
まず多くのコレクティヴは多様な「アート」を指向していた。ジャワ島ジョグジャカルタのクンチ・スタディー・フォーラム&コレクティヴ(Kunci Studi Forum & Collective)がダンス、演劇、音楽、美術の作品を多く生み出している事例、スマトラ島西部のコムニタス・グブアック・コピ(Komunitas Gubuak Kopi) がミナンカバウの護身術や音楽をベースとした作品創作を行う事例、スラウェシ島マカッサルのシク・ルアン・トゥルパドゥ(Siku Ruang Terpadu) によるストリートアートやグラフィティアートをベースにした活動の事例をはじめ多くの事例からは「アート」の内実が多様であることが示された。
さらに多くのコレクティヴは「アート」という領域を拡張しながら活動を行っていた。南スラウェシのマカッサルで図書館を拠点に活動を展開するカタクルジャ( Katakerja)の事例、東ジャワスラバヤのクワンサン・クンストクリング(Kwangsan Kunstkring)が社会調査と芸術活動を融合して都市問題の解決を目指す活動を行う事例、ジャカルタのグッドスクル(Gudskul) による3Dプリンターを活用した医療従事者向けのフェイスシールド制作や廃プラスチックを利用した卓球ラケット制作の事例は、文化的活動が地域に根ざす社会的活動に拡張していく事例でもあるだろう。西ティモールのラコアット・クジャワス(Lakoat Kujawas) のように地域文化の記録・アーカイヴ化・継承活動を目指しつつ創造的経済を活性化させる共同組合の事例も見られた。最終回に登場したジャティワンギ・アート・ファクトリー(Jatiwangi Art Factory )は地域の産業である瓦制作やテラコッタ制作を通して土に向き合いそれらの技術を街づくりに活かしていく地域創成の活動を行っていた。
このように多くのコレクティヴが多様なアートを目指しそれを社会的活動に拡張していた。領域横断性はこのサイトのステートメントで羽鳥氏が指摘している言葉であるが、この企画において「地域文化活動=アート」となっているのは、まさにこのようなコレクティヴの活動の現状をふまえた知見なのだと考える。近年、アート活動を通して地域活性化・復興などを目指す活動は「社会に深く関与するアート(socially engaged art[3])」と呼ばれ注目されている動向である。ダンスや演劇のシーンにおいても社会と関わる活動を多く見ることができる。それに加えて今回のコレクティヴの活動から示されたのは、アートを通して社会に働きかけることにとどまらずアート活動そのものを社会活動に拡張していく方向性であった。
4 アーティストたちの柔軟性
シリーズに参加して強く感じたもうひとつの点はアーティストたちの柔軟な思考である。今回のコレクティヴのすべてが、テクノロジーを使いこなしデジタルな活動との親和性も高く多様なデバイスを用いた発信力を備えていた。ホームページの作成やヴァーチャル展示会などのデジタルな発信力は現在のパンデミックの状況下でますます高まり、多様な工夫がなされている。SNSや映像クリップなどを活用してアート活動を発信することに加えて、Zoom のオンライン配信で画像や音響が途切れがちになることを逆手にとったダンスや音楽の創作などの事例も彼らの柔軟な発想をよく表していると感じた。一方で野菜を栽培し魚を育て料理をする、また図書館を開設し詩の朗誦を行い勉強会を開く、地域コミュニティの人々とワークショップを行い交流するというアナログな活動も積極的に行っていた。
さきほど挙げた「ノンクロン」は人々が緩やかに集まり話をして時間を過ごしアイディアを共有する場となるが、今回のコレクティヴのアーティストたちはそこで得られたアイディアを実行するためのスキル・能力・行動力も持っていた。デジタルなデバイスも活用しながら、自らのアイディアを着実に行動にうつしていくアート・コレクティヴの現場から多くを学ぶことができた。
トークの中では作品の展示や情報発信がオンラインになることで失われる要素はないのか、という議論も行われた。オンライン上のイベントは、海外をはじめ遠く離れた場所からも参加や交流が可能というメリットがある一方で、その土地固有の自然環境・生物多様性に根ざす文化のあり方を直接体験することが難しいという側面もある。ヴァーチャル展示や芸術上演では作品や上演の雰囲気を直接に感じ取ることの難しさもある。1で述べたIndonesia Dance Festival 2020においても生身の身体が不在の状況で開催されるフェスティバルの是非に関する議論が展開され、インドネシア固有の身体観の重要性や情報格差の中での配信の難しさが指摘された。一方でダンスと映像の組み合わせによる作品創作の可能性も示され、またコアの作品に基づく一般参加者のパロディー創作の映像コンテストなども行われた。現在のパンデミックの状況下では近くにいる人々でさえ対面的に共に活動するのが難しい。パンデミックを契機とする今後の活動は部分的にオンラインの形態を含むものとなりハイブリッドな活動形態は今後の新たな動向となっていくだろう。アーティストもまた多様な表現や発信の方法を模索していくことになる。今回の企画で示されたようにアーティストたちがオンラインでの発信力に長けていること、また一方でメンバーや地域の人々とコミュニケーションをとり共同作業を行う力を備えていることは、彼らの強みとなっていくのではないだろうか。
5 おわりに:伝統文化との対峙
筆者はこれまで1950年代から1970年代に生まれたアーティストの活動に焦点を当ててきた。1950-1960年代生まれの世代は国民国家の成立とそこで重視される文化表現を常に考えながら生きてきたアーティストであるが1970年代生まれの世代は欧米文化を文化的経験の基盤としており、中には活躍を始めてからインドネシアの伝統を意識したという人々も見られる。世代の違いはあるが彼らにとってインドネシアの伝統文化は創作活動における重要な要素として位置づけられている。アーティストにとってインドネシアとはどのような地域なのか、その伝統文化の要素をいかにしてグローバルな現代アートシーンに発信していくのか、という点は筆者が関心を持つテーマのひとつである[4]。
福岡アジア美術館の黒田雷児氏は東南アジアにおける芸術実践の独自性として、世界に通用し得る表象様式への指向だけに回収されない自立性が顕著であることを指摘している[5]。たしかに伝統文化の要素を用いた創作のすべてがグローバルなアートシーンに向けて行われるわけではない。またインドネシアあるいはアジアという枠組みに基づいてすべての創作活動が行われるわけでもない。したがってこうした指摘に基づけば、筆者が前提としていた「地域伝統vs. グローバルスタンダート」あるいは「アジアの表象様式vs. 西洋の表象様式」という対立図式の前提自体を再考する必要があるのかもしれない。
今回のコレクティヴのメンバーの多くは20代から40代の若者であった。1980年代から1990年代終わりに生まれた人たちということになる。国民国家建設の時代を生きた人々より後の世代であり、1998年のスハルト退陣後の「改革の時代(era reformasi )」を生きた世代の人々あるいはその頃に生まれた世代の人々も多いのではないだろうか。彼らにとってインドネシアという国の特徴は何か、また伝統文化とはどのようなものなのだろうか。そうした点についてもいつか詳細な語りを聞いてみたい。
[1] Supriyanto et.al 2014 Empat Koreografer Tari Kontemporer Indonesia Periode 1990-2008. Panggung 24 (4): 335-350 (該当箇所p.337)
[2] 片岡真実 2017「東南アジアの天気雨―展覧会の前提として」 『サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで』カタログ 平凡社 14-29頁 (該当箇所26-27頁)
[3] Pablo Helguera 2011 Education for Socially Engaged Art: A Materials and Techniques Handbook. Jorge Pinto Books, Inc.
[4] 福岡まどか 2018「序論:東南アジアのポピュラーカルチャー アイデンティティ・国家・グローバル化」福岡まどか・福岡正太編『東南アジアのポピュラーカルチャー―アイデンティティ・国家・グローバル化』スタイルノート、14-56頁
[5] 黒田雷児 2014『終わりなき近代 アジア美術を歩く2009-2014』グラムブックス (該当箇所 pp.193-198)