2021年8月22日(日)13:30〜15:30
ジャティワンギ・アート・ファクトリー(Jatiwangi art Factory)
登壇者:アリフ・ユディ(Arief Yudi)
文:羽鳥悠樹(福岡県文化振興課学芸員)
5月から行ってきたオンライン・トーク・シリーズも、ついに最終回となりました。ジャワ島の古都ジョグジャカルタから始まり、スラウェシ島、スマトラ島、ティモール島と西へ東へ飛び回ってきましたが、最後はまたジャワ島に戻り、西ジャワ州のジャティワンギという村で活動する、ジャティワンギ・アート・ファクトリー(以下、JaF)にお話を伺います。
トーク
「村の母」の存在
話は1枚の家の写真から始まりました。それはアリフさんのお母さんの家で、アリフさんが生まれ、育った家でもあります。アリフさんは、これは私の、そして私たちの母の家です、と述べました。
アリフさんによれば、この家は鍵をかけたことがなく、誰もが受け入れられる場所だったといいます。ここに来た人は、誰でもお母さんが作る料理を食べることができ、多い時には200人ほどがここで食事をし、共に時間を過ごしたそうです。こうしたことから、アリフさんはこの家に来る人々のことを、大きな家族のように感じるようになりました。そして、「村の母」としてのお母さんの存在が、アリフさんの、そしてJaFの原点となっていきます。
アリフさんはこの冒頭で、近隣住民に対してJaFが芸術分野で活動しているコレクティヴであることを伝えているわけではなく、それは彼らにとって重要なことではないと、はっきり述べられました。どのように芸術表現を行っていくかが大切なのではなく、お母さんの行いのように、隣人たちとの連帯を深めていくことこそが、JaFの活動の根幹にあるのです。
インドネシアの屋根を守るジャティワンギ
ジャティワンギは、インドネシア、ひいては東南アジアで最大の瓦の生産地です。アリフさんもトークの中で述べられましたが、みなさんがインドネシアを飛行機で訪れたなら、着陸直前には、窓から赤い瓦屋根が一面に広がる光景を目にすることと思います。それらのほとんどが、ジャティワンギ産の瓦なのです。
オランダ植民地時代の1905年に始まった瓦の生産は、1980年から90年代にピークを迎え、当時は600を超える工場があったそうです。しかし、瓦以外の素材を使った屋根の台頭や、労働者の流出などの問題のために、現在では少しずつ瓦産業が衰退してしまっており、工場の数も150近くまで減少しているとのこと。
そんななか、2005年にJaFが設立されます。JaFは、芸術や文化活動を通して、ジャティワンギの土を、経済的な商品の単なる材料として見るのではなく、それに文化的アイデンティティとしての新しい意味を与えようと考えたといいます。
彼らの活動はとてもユニークです。例えば、瓦工場で働く人々は、その仕事柄、筋骨隆々な者が多く、そうした特徴を利用し、瓦工場で働く人のボディー・ビルの大会を開催したことが挙げられます。第7回、8回と見てきた土地の文化保存と共通する意識を持ちながら、三者三様のアプローチ方法が見られることからは、コレクティヴが普遍性を志向するのではなく、ローカルを重要視していることが伺えます。
村とともに
JaFの活動のなかで、一際大きな規模で開催されるものがあります。それは、ランパック・グンテンと呼ばれ、ジャティワンギの瓦を使った音楽祭です。2012年に行われた際には、そこで住民たちが、土の権利を尊重すること、その土を適切に賢く利用することを、数万人の住民たちと一緒に、声に出して発表したとのことです。
通常こうした大人数での催し物は、許可を得るのが非常に大変だそうですが、ランパック・グンテンは、瓦に関わる人々だけではなく、村の警察や村長など、様々な分野の人たちが関わっていたために、すぐに許可を取ることができたようです。それだけ、多くの人に望まれた活動だったのですね。JaFの活動が、大げさではなく村全体を巻き込んだものであることがよく分かります。
実は筆者は、2018年のランパック・グンテンに参加しています。村の外れにある広大な敷地に、所狭しと人が押し寄せ、瓦の音が鳴り響き、それはもう、物凄い熱気でした。一コレクティヴの活動が、これほどの求心力を持つとは、その時までは正直想像すらしていませんでした。これはきっと、お母さんが紡ぎ出してきた村の連帯があるからこそ成せることなのでしょう。
「母」が感じられるまちづくり
ジャティワンギに、新たな工場が外国資本によって建設されていくという事態に見舞われた時、JaFは住民と共に何かできないかと考え、ジャティワンギが属するマジャレンカ県を、テラコッタの街にするという構想を提案したそうです。なんとこの提案により、実際にマジャレンカの建物の30%はテラコッタ材が見えるようにするという決まりができました。コレクティヴの活動が、地方自治をも動かしていく推進力を持っているとは、本当に驚くべきことではないでしょうか。
しかし、外資の波の次に、ジャティワンギはコロナ禍に見舞われることになりました。そこで彼らは、テラコッタの見た目だけではなく、この街が健康であるために、ポスト・コロナを見据えて、新しい都市計画を構想しました。それが、「母」が感じられるまちづくりというものでした。
アリフさんは、特に外国の街を訪れると、常に競争をし、何かに勝たなくてはいけないような、男性的なものを感じる街が多いと述べます。それに対し、ここで意図しているのは、母親が世話をしたり、保護をしたり、訪れる人を尊重するような、そんな街だといいます。冒頭に述べられたアリフさんの表現活動の原点、そしてJaFの活動の原点になったお母さんの存在が、今やインドネシアの一都市を形づくろうとしています。
トーク全体を通して、アリフさんはJaFの活動と言うよりは、常にジャティワンギのことを中心に語ってくれました。そこに、JaFの理念、そしてお母さんの想いがはっきりと表れているように思われます。
アンケートより
・アーティストが地域の様々な人々をまきこみ、建前でなく、実際にアートでまちづくりが行われ、住民たちが集う姿がとても印象に残っています。日本でこのようなことが可能なのだろうかとおもわず考えてしまいました。地域ごとにアートという言葉の捉え方、イメージが異なるのだろうなと改めて感じました。貴重な機会をありがとうございました。
ありがとうございます。確かに、日本は日本でまた違うかたちで、アートとまちが関わり合っていると思います。これまでのコレクティヴの人たちが述べられていたように、その土地、その場所に適したかたちを探ることが大切なのかもしれません。このシリーズが、アートという言葉自体を考えるきっかけになっていたら嬉しいです。
・聴いていて、まず彼の母親の存在がすごいと思った。どんな人でも受入れ、食事を提供し、家族の一員とするということがこのJaFの原点にあることがよく分った。(中略)人を助ければ、助けてくれる人もいて(米や食材の提供)、そういう関係性がこのコレクティヴのルーツになっているのがよく理解できた。その結果、街づくり計画に関わるようになっても、Rasa Ibu(開放性と優しさ、男性的な闘いではなく)をもった街づくり計画という言葉が重みをもって聞けた(報告者注:Rasa Ibuは発表中でアリフさんが用いた言葉で、母の感覚、母を感じられる、といった意味)。また、JaFが開放性をもっていて、村長でも誰でも、ここに加わって話をすればSeniman(アーティスト)になるという融通無碍がまさにコレクティブの本質だと感じた。
アリフさん、そしてJaFの原点から、母が感じられるまちづくりへという話は、多くの方の印象に強く残ったようですね。融通無碍、まさにそうですね。そしてそこには大きな柱があることが、JaFの強みでもあると思います。
・瓦を使った地域づくりの実践である今回のトークは、これまでで最も日本の地域づくり的な実践と似ているように感じました。 近代の都市がマッチョ的な構造である、という話から、母のようなまちづくりを目指す、という流れが面白かったです。
インドネシアでも、これほど地域づくりに広く深く影響を与えているコレクティヴは、現在のところ他にないと思います。こうした事例は、今後のインドネシアのコレクティヴの展開にきっと大きな影響を与えてくれると思います。
・これまでお聞きしたコレクティブと共通性を持ちながら、さらに、産業/生業と内発的開発の実践/実験へと発展させようとしている点がとても興味深かったです。Seniman(アーティスト)というと、政治経済的な場でも、競争や対立を回避しながら、物事をすすめることができるというアリフさんの発言が興味深かったです。
アリフさんたちは、そういったアートの側面を引き出すことがとても上手なように思われますね。また、そうした場でもアート、アーティストが尊重されているということでもあるかもしれません。
おわりに
最終回は、ジャワ島西ジャワ州のジャティワンギで活動するジャティワンギ・アート・ファクトリーから、アリフさんをお迎えし、お話を伺いました。アリフさん、そしてJaFの成り立ちに深く関わる母親の存在が、村を包み込み、新たな都市の在り方に発展していることが、とても強く印象に残りました。
質疑応答では、終了予定時刻を過ぎても、まだまだ話そうよと笑顔で仰られ、たくさんの質問に答えていただきました。その時の、自由で緩やかな雰囲気こそ、筆者が色々なコレクティヴを訪れた時に感じたものであり、本企画を通して参加者のみなさまに伝えたかったものでした。オンラインでのトークという形式のために、どうしてもセミナーのような雰囲気がつきまとってしまい、なかなかこうした雰囲気を届けられなかったことは大きな反省点となりましたが、最後の最後に、こうしたやり取りを通して、少しでも本来のコレクティヴの温かさが伝わっていたら幸いです。
アリフさん、本日は貴重なお話をどうもありがとうございました。


- 開催場所
- オンライン開催(Zoomを使用)
- 登壇者
- アリフ・ユディ(Arief Yudi)