2021年5月8日(土)13:30〜15:30
ガイダンス:廣田緑(国際ファッション専門職大学准教授)
文:羽鳥悠樹(福岡県文化振興課学芸員)
全9回に渡り、インドネシアの「コレクティヴ」とともに、このコロナ禍における「人が集まる」という行為について考えるオンライン・トーク企画が、この日遂に開幕しました。
初回はまず、この企画の趣旨説明を行いました。その内容に関しては、アーカイヴ映像でご覧いただける他、このウェブサイトでもキュラトリアル・ステートメントとして、文章を掲載しますので、そちらも是非ご覧ください(近日公開予定)。
本企画では、先に、インドネシアの「コレクティヴ」とともに「人が集まる」ということについて考えると述べましたが、多くの人にとっては「インドネシア」も「コレクティヴ」も、ほとんど馴染みのないことだと思います。そこで、初回はまず、その2つのキー・コンセプトについて、国際ファッション専門職大学の廣田緑先生に、ガイダンスを行って頂きました。
まず最初に、「インドネシアの文化的・歴史的概要」というチャプターで、インドネシアの基本的な情報をまとめてくださいました。インドネシアという国の成立やその地理的・宗教的特徴、独立から現代への政治の流れなどをとても分かりやすく解説して頂きました。特に、インドネシアの国境は、オランダ領東インドとして植民地化された時のその領土をそのまま引き継いでいるということ、すなわち、民族も言語も異なる人々が、一つの国となり出発していったことは、とても重要なことです。
続いて、「インドネシア美術の概要」では、インドネシアで、主に近代以降展開していった「美術」の歴史について、簡潔にまとめて頂きました。近代的な「美術」から現代美術への流れを追う中で、インドネシアでは歴史的にサンガール(Sanggar)と呼ばれる、私塾、画塾のようなものがたくさん誕生していたことや、美術家たちは常に社会的な問題に関わりながら制作を続けてきたことを強調されました。これらは現在のコレクティヴの活動と何らかの歴史的な繋がりがあるように思われます。
現代までの「美術」の流れを確認し、ここからは「インドネシアの美術家集団」ということで、集団での動きに注目していきます。それまでは、集団で活動していても、作品を発表する時は個人の名前で行っていたのに対して、90年代後半以降、アポティック・コミック(Apotik Komik)やタリン・パディ(Taring Padi)のような、グループで制作し、グループとして発表する動きが出てきたことを指摘しています。また、こうした動きは98年のスハルト政権崩壊と軌を一にするもので、インドネシアのコレクティヴ第一世代といえる人々が、揃ってこの時期に活動を始めていることは、とても示唆的なことですね。
最後にこれらを踏まえ、「美術家が集団となる背景」では、どうしてインドネシアで今こうした「コレクティヴ」の活動が多く見られるのかということについて、全てがインドネシアに独自のものであるかはひとまず置いておき、興味深いキーワードを用いて、ご説明して頂きました。
まず、オンライン・トーク・シリーズの第2回で登壇して頂くクンチ(Kunci Study Forum & Collective)の設立者の一人であるアンタリクサ氏(Antariksa)が提唱した3つのNをご紹介して頂きました。すなわち、ノンクロン(Nongkrong)、ネベン(Nebeng)、ニャントリッ(Nyantrik)です。
ノンクロンは、友人たちと集まり、ただおしゃべりをするような、そういう行為を表す言葉で、これは自分もインドネシア滞在中には良く耳にしていた言葉であり、よくノンクロンをしていました。大切なのは、これが「コレクティヴ」の活動に独自なものでもなく、広く一般に親しまれた言葉であるということではないかと思います。ある友人は、「日本の女子高生もよくノンクロンしてるよね」と言っており、本当にそれくらい日常的なことを表しています。廣田先生は、このノンクロンの文化をベースとして、多くのコレクティヴは始まっているのではないかと述べられました。
ネベンは、分かりやすい言葉で言えばシェアということのようです。しかし、興味深いのは、ネベンされるものは何も「もの」だけではないということです。ノンクロンしているうちに生まれたアイディアをネベンしていくことで、新しいことが巻き起こるというのです。とてもゆるやかでしなやかな在り方ですね。
ニャントリッは、「同じ場所で寝食をともにし、師匠から知識を受け継ぐ」ということを表すものだそうで、これも広く見れば、ノンクロンをして知識をネベンするというようなことなのでしょう。こうした概念が元々あったインドネシアの人々にとって、現代の「コレクティヴ」の形態というのは、とても自然なものなのかもしれません。
これらに加え、廣田先生はインドネシアでの生活において重要な考え方であるゴトン・ロヨン(gotong royong)と、地方出身者が下宿(コス・コサン(kos-kosan))生活の中で体験する共同生活も、「コレクティヴ」の在り方に関わる重要な概念として提示されました。助け合いの精神であるゴトン・ロヨンと、共同生活をする下宿コス・コサン。こうした素地の上に、インドネシアの多様な「コレクティヴ」の活動があるようです。
トーク終了と同時に、多数の質問やコメントが飛び交い、質疑応答がとても盛り上がりました。みなさん、積極的なご参加、誠にありがとうございます。やはり、多くの参加者がこの3つのNやゴトン・ロヨン、コス・コサンという概念に対して反応を示しており、これらは全て、今後の8回のトークのなかでも非常に重要な位置を占めていますので、導入として本当に素晴らしい回になったと思います。
トーク終了後にアンケートを配布したところ、こちらにも多数の回答を頂きました。ありがとうございます。みなさんの参加のきっかけが、ピンポイントで「インドネシアのアート」や「インドネシアのコレクティヴ」に興味があったからというものが多く、これは嬉しい驚きでした。
アンケートのコメントでも、「ノンクロンから生まれる文化に大変興味を持ちました。今まで注目してきませんでしたが、確かに、あの独特の雰囲気からはクリエイティブな発想が生まれてきそうです。」や、「ノンクロン、いいですね。今一番大事なことに思います。」のように、3つのN、なかでもノンクロンの良さを強調される方が多かったです。
「インドネシアの人は助け合いの精神も持っていると聞いて、現地の人と話してみたいなと思いました。」というように、実際にインドネシアの人たちと話してみたい、関わってみたいという気持ちが芽生えた方がいらっしゃったのも、とても嬉しかったです。是非、今後のトークで、直接質問などしてみてください!
また、福岡の歴史的な部分に着目して頂き、「福岡県は福岡アジア美術館の活動などをはじめとして、アジアのアートに対する興味深い発信を長年にわたって行っている地域だと思います。そうした地域でこのような企画がされているという点にも関心を持ちました。」というお声も頂きました。企画者として、この部分は強く意識しており、この企画が少しでも福岡とアジアの繋がりの発展に貢献できればと思っています。
さて、アンケートのなかで頂いた質問は、後日、廣田先生に伺ってみましたので、以下、インタビュー形式でお楽しみください。
美術家たちは常に社会の中で闘争してきた、政治的メッセージを作品に込めた(民衆の代弁)」とありましたが、社会的なメッセージを含む作品の発表に対して、制約はあったのでしょうか?
廣田:ガイダンスで私が伝えたかったのは、インドネシアの“近代”から“現代”美術への流れの中で、アーティストは常に社会に対して何らかのメッセージ性をもつ作品を作っていたということでした。この質問に対しては、コレクティヴとも関わる90年代以降の状況に限定してお答えしようと思います。
現代美術のなかで、政治批判的な作品も散見されますが、それらが検閲されたという事例は聞いたことがありません。スハルト政権下において集団を作ることが反政府組織に見なされたことはガイダンスで話しましたが、当時であっても、80年代にはチムティ(ジョグジャカルタの画廊)のようなアーティストが集まる場所はあったので、制約によって表現活動が大きく制限されたとは言い切れないと思います。
羽鳥:確かに、80年代、そのような制約下でアーティストがどのように集団を形成しようとしていたのかということを考えることは、重要ですね。
廣田:そうですね。当時、その後のインドネシア美術界に大きな影響を与えるアーティストやキュレーターたちが、ジョグジャカルタのチムティに集まっていたことを思うと、政府の目の届きにくいところで工夫して何かをしていた、ということはあるのかもしれません。98年のスハルト政権の崩壊でコレクティヴが増加した、ということは事実として言えると思います。
社会と関係を持つ以上、自分たちの活動を省みるような自己批評性や批評家などの活動があると思うのですが、それがどのような場所で生まれているのか、育まれているのか?
コレクティブの活動の評価はどこで、どのように生まれているのか?
廣田:彼らの活動の特徴の一つに、アーカイヴを重要視しているということが挙げられます。インドネシアでは、美術関連のメディアが極めて少ないので、そういう場で批評が行われるという機会はあまりありません。ただ、彼らはインターネットを駆使して、自分たちの活動を公に発表することにとても長けています。特に新しい世代には、そういう能力が普通に備わっていて、SNS上の反応などから、自己批評を行い、活動につなげているのだと思います。
ガイダンスで話した3Nの一つ、ノンクロンはミーティングの機能を十分に果たしていたりして、そういうところで、自分たちの活動をしっかり振り返っているとも思います。批評家の活動としては、インドネシアで言えば、これまで現代美術のフィールドで活躍してきた批評家たちが、コレクティヴについて何か批評をしているというのはまだあまり読んだことがありません。一方、コレクティヴの内部で、評論のできる人材を教育する動きがあり、そこから出てきた人が、自分たちの媒体から発信するという例は見られます。サンガールの時代は、基本的には絵を描くことを教えていましたが、現代のコレクティヴはもっと色々な領域のことを教えるようになってきて、その中に批評やキュレーションが含まれてきて、若手が育っていくということがありますね。
宗教上、ムスリムは本来ビジュアルアートに消極的な気がしますが、あまり関係ないのでしょうか。宗教人口同様、アートに関わる人たちにもムスリムが多いのでしょうか。
廣田:消極的ということはないと思いますね。自らのアイデンティティとしてムスリムであることを強調して制作する人もいます。
羽鳥:現代美術に限らず、歴史的にインドネシアの画家も、ムスリムはたくさんいましたが、ムスリムであるがゆえの消極性などはあまり見受けられないですね。
廣田:ただ、マレーシアのような文化や言語的に近い国の人でも、インドネシアの緩さには驚いていたので、地域による意識の違いみたいなものはあるようです。
日本とインドネシアとの「アートシーン」「芸術」における、地域単位や個人単位の暮らし・生活上にある特徴的な差異を、教えてください。
廣田:日本とインドネシアというよりは、インドネシアのなかでも、同じジャワ島にあるジャカルタとジョグジャカルタでさえ色々なことが異なるので、難しいですね。
羽鳥:日本とインドネシアのアートシーンの違い、ということであれば、日本には公立の美術館がたくさんあって、発表の場もたくさんありますけど、インドネシアではそういう環境はあまりないですよね。
廣田:確かにインフラの少なさというのは大きな違いですね。その影響で、一般の人が、美術に関わる仕事がしたいと思っても、それに関わる場が少ないということは挙げられるかもしれません。
第1回から盛り沢山な内容になりました。廣田先生、どうもありがとうございました。次回は5月16日(日)、ガイダンスでも何度も名前が出てきたジョグジャカルタのコレクティヴ、クンチが登場します。お楽しみに!


- 開催場所
- オンライン開催(Zoomを使用)
- 登壇者
- 廣田緑(国際ファッション専門職大学准教授)