2021年7月3日(土)13:30〜15:30
コムニタス・グブアック・コピ(Komunitas Gubuak Kopi)
登壇者:アルベルト・ラフマン・プトラ(Albert Rahman Putra)
文:羽鳥悠樹(福岡県文化振興課学芸員)
本オンライン・トーク・シリーズも終盤にさしかかってきました。第7回は、スマトラ島に移動し、西スマトラ州のソロックで活動する、コムニタス・グブアック・コピにお話しを伺います。
グブアック・コピは、地域の芸術や文化の振興、メディア・リテラシーの向上を基本方針とし、2011年から活動を続けています。今回は、設立者の1人であるアルベルト・ラフマン・プトラさんにお話しを伺いました。
西スマトラ州ソロック
話はまず、彼らが活動の拠点としているソロックについてから始まりました。ソロックは、スマトラ島西スマトラ州の比較的小さな都市で、ミナンカバウの文化圏に属します。火山と湖に囲まれていますが、土地は肥沃で田畑に適しており、古くから住民にとって農業の存在が身近にあったとのことです。
植民地化から独立、その後の1950年代の政府に対する反発など、複雑な歴史背景を持つソロックのことを丁寧に語ってくれました。ここには、彼らが何よりこの地域のことを常に考えて活動しているという姿勢が、とても強く感じられました。
そのような場所で、グブアック・コピは、ソロック出身の学生たちによって2011年に設立されました。主にメディア・リテラシー向上の場を作り、積極的にアート・プロジェクトなどを通して発信活動を行っています。
メンバーはそれぞれ、ソロックの近隣都市で、文学や芸術、スポーツなど、様々な分野で学んでおり、彼らは毎週ソロックに戻り、コーヒーを飲みながら色々な議論を行っていたそうです。始まりはやはり、ノンクロンからだったようですね。
コムニタス/コレクティヴ
アルベルトさんは、コレクティヴという言葉についてもいくつか興味深いお話をしてくれました。グブアック・コピは、正式名称をコムニタス・グブアック・コピ(Komunitas Gubuak Kopi)といい、コレクティヴではなく、コムニタス(コミュニティの意)という言葉を使っています。コムニタスという言葉を使った大きな理由の1つは、サンガル(芸術に関する私塾のようなもの)やNGOなどの団体との差別化を図るためであったと言います。
では、なぜコレクティヴという言葉ではなかったのか。これに対しては、アルベルトさんによれば、コレクティヴという言葉自体が、特に西スマトラの近辺では、2017年頃から盛んに使われ始めたということが大きな理由になっているようです。確かに、2010年に開催された、いわゆるコレクティヴを紹介した展覧会「フィクサー」でも、ruang alternatif(オルタナティヴ・スペースの意)、kelompok seni rupa(美術集団の意)という言葉が使われおり、コレクティヴという言葉はほとんど使用されていません。第2回に登壇してくれたクンチも、近年その名称にコレクティヴを用いるようになりました。グブアック・コピ設立時の2011年も、コレクティヴという言葉は、まだあまり一般的ではなかったのでしょう。
彼らの話を伺っていると、活動の中身とコレクティヴという名称の関係に、彼ら自身はそれほど大きな意味を感じていないように思われますが、それでも後に名称にコレクティヴを用いるようになる例が見られるなど、少なからぬ影響があるようにも見えます。コレクティヴという言葉と、その実態の関係性については、これからも考え続けていきたい問題です。
地域文化の保存と発信
次に、グブアック・コピがこれまで行ってきた活動について紹介してくれました。まずは、地域の子どもたちを対象に、メディア・リテラシーに関するワークショップなどを行うRemaja Bermedia。メディアと遊ぶような感覚で触れ合い、段々とメディア技術を使いこなせるようになっていくことを目的としたプロジェクトです。メディア・リテラシーの向上を謳う彼らの基本的な活動と言えそうです。
Daur Suburというプロジェクトでは、西スマトラの農業文化のアーカイヴ作業やマッピングなどを行っています。このプロジェクトの参加者は、Remaja Bermediaのようなメディア・リテラシーのワークショップにも参加し、そこで身につけた技術を活かし、Daur Suburでの成果をテキストやオーディオ・ヴィジュアルといった形態で発表してもらったそうです。プロジェクトがお互いに連携していて、西スマトラの文化保存を知識と技術の両面から支えている、大変重要な活動ですね。
他にも、ソーシャル・メディアを活用し、ソロックに関する写真などを集め、その発展の過程を探るSolok Milik Warga。スマホを持っている人に、ソロックの日常的な光景を撮影してもらいビデオ・ライブラリーのようなものを作ったVlog Kampungなど、興味深いプロジェクトが数多く展開されています。
こうしてグブアック・コピの活動を概観してみると、彼らがソロックの文化の記録と発信に、非常に大きな比重を置いていることが分かります。大きな歴史には載らない、しかし地域にとっては何よりも重要な自分たちの伝統や文化を、守り伝えていくということが、グブアック・コピの活動理念を貫いているように思われます。さらに、こうした活動が、グブアック・コピの作品として一方的に制作、発信されるのではなく、地域住民が参加し、一体となって行われることにも、大きな意味があると思います。
コロナ禍とメディア
2020年、やはりソロックも、新型コロナウイルスの脅威にさらされ、これまでの活動に様々な制限が強いられました。しかし、メディアのプロフェッショナルである彼らは、コロナ禍によってあらゆるものがオンライン化していったなかで、その力量を存分に発揮します。
対面での活動ができなくなり、その場をオンラインに移そうとした時に、アルベルトさんは、作品のレプリカを展示するような意味でのオンライン展示ではなく、メディアとしてインターネットを十分に活用するということを考えた、と述べられました。現実の場の代替物としてのバーチャルではなく、バーチャルであること自体を活用するという視点は、非常に重要だと感じました。第3回、クワンサン・クンストクリングの時に出た、「新しいコレクティヴの感覚」のように、従来のものの代わりではなく、バーチャルな世界に新しい価値を見出して行こうとする姿勢が、今後の時代を生きる私たちに求められていることなのかもしれません。
その結果、ネットワーク回線の影響などによって、音声や映像が途切れたりすることを利用した言葉遊びのプロジェクトや、そういった音声の反復や映像が停止することから発想を得て、地域の伝統的な武道であるシラットの動作をモチーフにした作品を制作する、といったことが行われました。こうしたなかでも、地域の文化と常に接続した活動が行われており、強い信念を感じます。
地方では、行政的なサービスが行き届かないことも多いでしょうし、大都市に比べると、外部からの関心も薄く、気づかないうちに失われていってしまうものもきっと多いはずです。そうしたなかで、グブアック・コピのようなコレクティヴの存在というのは、地域にとって極めて大きな意味を持ち、力を与えてくれるものなのではないでしょうか。彼らの活動を見ていると、自分たちも、他に頼るよりも前に、自分たちの手で、地域の文化を保存、発展させ、継承していかなくてはいけないと思わされます。さらに、コロナ禍によって地域の連帯が失われてしまうかもしれない危機に、彼らのような存在は、平時以上に重要なものになっているのでしょう。
Q&A
当日時間がなかったために扱えなかった質問や、後日寄せられた質問について、アルベルトさんからの回答を掲載いたします。
※本文中にカタカナで表記された言葉に関しては、Q&Aでもカタカナ表記に統一しています。初出の言葉については、読みをカタカナで示し、必要と思われる箇所には報告者注を入れています。ご了承ください。
Q. メンバーに美術畑の人もいるとの事ですが、どこの大学出身なのですか。
A. インドネシア芸術院パダンパンジャン校を出た人もいれば、パダン州立大学の芸術学科を出た人もいます。
Q. ソロックであなたたちのような活動を行なうコレクティヴは他にもありますか。
A. はい、あります。ソロックでは4つのコレクティヴが活動しています。近隣の、例えばパダンのような都市では、もっと多くのコレクティヴが活動していますよ。
Q. 皆さんが招待するアーティストというのは、ソロック周辺で活動する方々ですか?あるいは、他地域から招待するのですか?
A. 私たちは、通常はソロック周辺で活動しているアーティストを巻き込んでプロジェクトを行っています。その他の都市から呼んだりすることもありますが、それは私たちの経済的な状況次第ですね。アーティスト自身が資金を自ら準備して来てくれることもあります。
Q. ソロックで活動するアーティスト(ダンサー、ミュージシャン)は、やはりインドネシア芸術院パダンパンジャン校出身者が多いのでしょうか。
A. そうですね。そういう人が多いと思います。
Q. グブアック・コピの指針は西スマトラのautonomy(報告者注:自治、自律性)にあるともおもいますが、それは外来者の参加を制限しませんか。
A. そうは思いません。私たちは、柔軟に、外からの参加者に対しても常に開かれたものであるようにと努めています。
Q. Rantau(ランタウ)(報告者注:地元を離れて修学したり、出稼ぎにでること。トーク中では、ミナンカバウにある文化として紹介されました)と商業(Niaga)の関係を考えるとか、シラットの動きをパフォーマンスに取り入れるなどが、活動の例として紹介されていました。その他、ミナンカバウ文化のどのような特徴を発展させようと考えていますか?
A. 私たちは農耕社会としてミナンカバウで発展してきた文化に関する語りを掘り下げていくことに活動の焦点を当てています。現在は、そのことに関する様々なことを、過去、そして現在の展開も含め、学んでいるところです。
Q. アルベルトさんのお話で、歴史と平等が大切だというこをよく分かりました。アルベルトさんを含めコレクティヴの方たちは、平等な人々をを表わす言葉として、アルベルトさんはpublik(プブリック)という言葉を使われ、他の方たちはmasyarakat(マシャラカット)を使ったのではないかと思います。歴史的に重要なrakyat(ラクヤット)という言葉は使われてないように思いますが、アルベルトさんはrakyat、publik、masyarakatの違いをどのように考えられますか。
A. 正直なところ、その言葉を選んだことに特別な理由はありませんでした。ですが、今日のインドネシアでは、publikという言葉がより一般的なように感じられます。masyarakatやrakyatという言葉には、そのように定義されたことはなくても、下流階級といったことが連想されることがあると思います。それは恐らく、masyarakatやrakyatは通常、政界幹部らが、私たちのような人々を指す時に使われる言葉だからではないでしょうか。それに対し、publikは、全ての職業、階級など様々な人に関わることについて述べる時に使われると思います。
アンケートより
・個人的にはジャカルタのような大都市で活動するコレクティヴよりも、今回のグブアック・コピのように地域文化に根ざした活動のほうに、より興味が引かれます。ときどき、Wi-Fiの状態が悪かったのは残念ですが、とても充実した内容だと感じました。
大都市と地方では、置かれている状況も大きく異なり、それぞれに課題があると思いますが、もしかすると、こうした地方でグブアック・コピのようなコレクティヴの活動がある、というのは、地域にとってはより大きな意味を持つかもしれませんね。Wi-Fiに関しては、私たちにとっても大きな反省点となりました。ご指摘いただき、ありがとうございます。
・比較的小さな都市ソロックでの活動をとても興味深くききました。ソロック特有の歴史的背景もわかり、感慨深かったです。
・地域住民による、地域住民のための活動、という点が大切だと感じました。
そうですね。彼らの活動はとにかくソロックという土地、そしてそこに住む人々を常に念頭に置いて進められているなと、強く感じました。同じ目線で課題を共有しながら活動が行われているというのも、とても重要な点ですね。
おわりに
今回は、スマトラ島の西スマトラ州ソロックから、コムニタス・グブアック・コピのアルベルトさんをお迎えし、お話しを伺いました。同郷の学生たちのノンクロンから始まったグブアック・コピ。これまでの大都市のコレクティヴとは異なった、地方都市のコレクティヴの実践例からは、コレクティヴという存在の新たな側面が見られたのではないでしょうか。
アルベルトさん、貴重なお話をどうもありがとうございました。


- 開催場所
- オンライン開催(Zoomを使用)
- 登壇者
- アルベルト・ラフマン・プトラ(Albert Rahman Putra)