2021年5月16日(日)13:30〜15:30
クンチ・スタディー・フォーラム&コレクティヴ(Kunci Study Forum & Collective)
登壇者:シャフィアトゥディナ(Syafiatudina)
文:羽鳥悠樹(福岡県文化振興課学芸員)
今回から、インドネシアで実際にコレクティヴとして活動する人たちのトークが始まりました。
トップバッターには、ジャワ島の古都ジョグジャカルタで活動するクンチ・スタディー・フォーラム&コレクティヴ(Kunci Study Forum & Collective、以下クンチ)のシャフィアトゥディナさん(Syafiatudina、以下ディナさん)をお迎えしました。
クンチは、10名のメンバーで構成されており、そのうち3名はヨーロッパやオーストラリアでそれぞれの活動をしています。大学という教育制度に疑問を感じ、自ら学びの場を作ろうということで集まったことをきっかけに、1999年に結成された、インドネシアの中で最も長く活動を続けているコレクティヴの一つです。
ディナさんのトーク
ジョグジャカルタ紹介
まずはクンチが活動しているジョグジャカルタという地域について、鳥、観光客、そして蛙の視点から紹介してくれました。鳥のように上空から見渡せば、ジョグジャカルタは北に大学やショッピングモールなどの商業施設が集中しており、南は文化の街として、芸術大学やギャラリーなどがひしめき合っていることが分かります。また、ジョグジャカルタは観光地としても有名なため、多くの観光客がプランバナン遺跡などを目指して旅行に訪れます。
しかし、こうした視点からでは、表面的なものしか捉えることができず、蛙の視点で、移り変わりゆく日々の出来事や、人々の関係性を見ていくことの重要性を強調されました。これから聞くことになる彼女たちの活動が、このように地域に根ざしたものを志向していることが、既にこうした発想からもよく分かりますね。
ちなみに蛙の視点というのは、インドネシア語に固有の言葉なのかなと思ったのですが、実は日本語にも鳥瞰図の対義語として、蛙瞰図(あかんず)という言葉があるようです。今はほとんど使われることはないそうですが、物事を捉える視点として心に刻んでおきたいですね。
なぜ協同するのか
次に、2009年に行ったプロジェクト「南広場:共有空間の物語」(Alun-Alun Selatan: Cerita Ruang Bersama)を紹介して頂きました。このプロジェクトは、ジョグジャカルタの南広場について、記録したり、語り合い、過去にそこであった出来事について、それぞれが知っていることを共有する、というものでした。この活動は他の大小様々な組織やアーティストと協力して行ったものであり、話はここから、どうして彼女たちが周囲の人々と協同するのかということへ展開していきます。
同じクンチのメンバー、アンタリクサさんによれば、そもそも1950年代には、ジョグジャカルタに74もの芸術組織があったことがアメリカの研究者によって指摘されており、この地域は歴史的に見ても、人々が集まって何かを成し遂げるという考え方が根付いていたといいます。そして話は、1974年から80年代末まで続いた、インドネシア美術史にとっても重要な出来事の一つである新美術運動(Gerakan Seni Rupa Baru)に。これまで、インドネシアにおける現代美術の萌芽として考えられていたこの運動は、どうやら現在のコレクティヴにつながるいくつかの特徴を持っているようです。
例えば、多くのコレクティヴが持つ抵抗性。第1回のガイダンスでも、98年前後の学生運動が、コレクティヴ的な集団が現れる契機の一つとなったという話がありましたが、新美術運動も、当時のインドネシア美術界で高く評価される作品の傾向や姿勢に対する抗議として現れたものでした。
また、彼らが行った展覧会「ファンタジー・ワールド・マーケット」展(Pasaraya Dunia Fantasi)では、誰がどの作品を作ったのかというキャプションはなく、作品は新美術運動のものとして展示されました。その意図は検討の余地があるにせよ、個ではなく、集団として活動を進めていくという姿勢は、第1回で紹介されたタリン・パディ(Taring Padi)らに先行する事例として、とても興味深いものがあります。
さらに、新美術運動のメンバーであるシティ・アディヤティ(Siti Adiyati)の文章を引用し、彼らが集まるという行為それ自体を重要視していたことを示してくれました。作品制作という共通の目的を達成するための手段として集まるのではなく、集まることそれ自体が、まず彼らにとっても必要なことだったようです。
このように、インドネシアにおいては、現在のコレクティヴが示す特徴が、歴史的に育まれてきたことをディナさんは示してくれました。
クンチの設立背景
クンチの設立は、初回のガイダンスでもあったように、やはり98年のスハルト政権の終焉が関係しているとのことでした。
それまでの、80年代の世の中の空気というのは、何も批判することができないようなものだったそうです。ディナさんはここで、パプアの大学博物館館長であったアーノルド・クレメンス(Arnold Clemens AP, 1946-84)の活動を例に説明してくれました。彼は、当局に押し付けられたパプアの芸術文化は「はっきりしない(mengambang)」もの、つまりパプアの文化に根ざしていないものであり、より自分たちらしい、パプアに根ざした芸術活動を推進しようとしました。しかし彼は、1984年4月26日、死体で発見されることになります。当時ジャワ島以外では、このように、自由な芸術の試みは非常に制限されていたようです。
同時にディナさんは、アーノルドが「はっきりしない」ものを批判したように、蛙の視点で自分たちの周囲で起こっている現実を見定め、日常に根ざしていない、「はっきりしない」ものを批判することの重要性を強調します。
こうした状況は、98年の政権崩壊を機に大きく変化し、人々は新しい時代へと入っていく感覚を得、その方向へと歩みを始めたといいます。クンチも、どのようにこの新しい時代を歩んでいくのか、ということについて学ぶことを心がけ活動を始め、批判を伴うディスカッションなどを精力的に行ってきたようです。
2015年には、大学の学費の値上げなどに対して、再びデモが起こりました。大学に在籍することのできる年数の制限もどんどん短くなり、教育や学問の場が非常に限定されたものになっていき、こうしたジョグジャカルタの状況に対して、クンチは、大学という場を飛び出し、誰もが利用できて、共に学ぶことができる場を組織することを活動の中心にしていきます。
学ぶ方法を共に学ぶ
その代表的な活動として、「本来の方法とは異なる形の学校(Sekolah Salah Didik)」を紹介して頂きました。ここでは、先生も生徒もいない、全員が対等な立場で、学ぶことさえも自分たちで決められます。人が集まった時に、そこに上下関係を生じさせないやり方は、クンチの場合はアルジェリア出身の哲学者ジャック・ランシエールの考えに基づいているそうですが、他のインドネシアのコレクティヴにもとても顕著に見られます。この点が、従来のシステムのなかで人が集まるということとの、大きな差異を生んでいるように思われます。
それに加えてもう一つ彼女たちが大切にしていることがあるといいます。それは、トゥルバ手法です。トゥルバとは、インドネシア語で下に降りるという意味のturun ke bawahからきています。なかでも、「3つの同じ(Tiga Sama)」、共に食べ、共に同じ場所で寝て、一緒に働くということを、この「本来の方法とは異なる形の学校」で学び、参加者はそれぞれのコミュニティでこれらを実践し、またここに戻ってきて、各々の経験などを共有する、というプロセスを辿りました。
興味深いことに、彼女たちの活動は、単に集まって学ぶということだけには留まらず、そこで得られた成果などを、本として出版したり、展覧会として発表するのです。展覧会という、「美術」の一つの制度、手法を、巧みに応用し、知識やアイディアを公衆と共有していき、決して閉じたものにならないようにする。この開放性も、コレクティヴの一つの特徴かもしれません。
パンデミック下における共同体の助け合い
しかし、こうした活動の自由を、新型コロナウイルスが奪ってしまいました。それだけではなく、ジョグジャカルタでは、この影響によって働くことさえもままならなくなった人々への援助も、満足にない状況だったといいます。
しかし、この状況下で、地域住民らが炊き出しを始め、クンチや他のアートを主とした活動をするコレクティヴたちも、それに混じって一緒に炊き出しをしたとのことです。そのうち、その活動は、コロナ禍で収入がなくなってしまった芸術家たちに食事を提供するというものに発展していきます。そしてそれは、タイトルを冠した一つのプロジェクトになりました(Mes56コラボラティヴ・サバイバル)。
従来の活動ができないならできないで、今必要とされていることを、彼らなりの方法で行っていく。彼らの芸術活動、表現活動は、極めて柔軟です。彼らにとってアートというものは、いわゆる西欧由来の「アート」ではなく、蛙の視点で物事を見ていくなかから立ち現れてくる、協同概念の発露とでも言うべきものでしょう。
ディナさんは、はっきりと述べます。
私たちは一人で生き延びることはできない。
それはパンデミック以降、より強く意識されることとなり、かえって相互の結びつきを強めることになったように思われます。
最後は、このプレゼンテーションの間、声のみ出演してくれていた新しいクンチの仲間であるニワトリを紹介してくれました。人と人のみならず、人と動物、自然との関係性にまで拡がった活動をするクンチ。学びを求める人すべてに開かれ、集まれる場。何をするのか、何を学ぶのかも自分で考えられる。いや、誰もが正解を知らないこのパンデミック下では、何をするのかを自分で考える、ということ自体が最も重要なことでしょう。従来の活動の枠にとらわれない、柔軟な発想は、日本の文化施設に今まさに求められているものではないでしょうか。
アンケートより
参加者のみなさんから頂いた感想をいくつかご紹介いたします。
- ・鶏の声やアザーンの声らしきものが聞こえていたのもよかったです。
- ・最後の方で、Lifepatchから二人が来たことで、裏庭で養鶏が始まったというお話がおもしろかったです。
このように、理念的なことだけではなく、実生活との結びつきが発表のなかで垣間見えたことに対するご感想が多く寄せられました。こうしたことは、日本のイベントなどではなかなか起こらないことですよね。
- ・一緒に学ぶという姿勢に共感しました。最初から解決したい政治的課題があって集まったというよりも、何が課題なのかを探るというところから始まっているという印象をもちました。
この点は、インドネシアのコレクティヴの活動を考える上で、非常に重要な点と思われます。ある目的を達成するために集まるのではなく、まず集まるところから始まる。さらに言えば、課題を探そうというよりは、集まって話していくなかで、自然と課題が見えてくるという感じなのではないかと思います。日本では、目的達成のために最短ルートを通ることが是とされていますが、私たちはそうした価値観を再考していく必要があるのではないでしょうか。
- ・アーティストがパンデミックのなか、炊き出しをしていたことを知り、日本との違いを感じました(フィリピンでも、アーティストが生活困窮者に対してのボランティア活動を活発にしています)。日本でも政治的なテーマを掲げるアーティストは多いし、コレクティブも多いのですが、社会参加の意識の違いを痛切に感じました。
これもとても重要な点だと思います。私の考えでは、やはり日本の多くのアーティストやコレクティヴが、「美術」や「アート」という制度を前提に活動していることが関係していると思います。ステートメントでも触れた、「アート」という概念の問題です。これは、ここで扱うには大きすぎるので、また本企画終了時に論じたいと考えています。
Q&A
最後に、当日時間がなかったために扱えなかった質問や、後日寄せられた質問について、ディナさんからの回答を掲載いたします。
Q. ありがとうございました。共に生き延びるという考え方、とても大事なように思いました。コレクティブの活動資金はどのようにして得ているのでしょうか?もしよければ教えてください。
A. 1999年以来、クンチは様々な資金源を利用してきました。まだクンチのニュースレターを発行していた頃は、その購読者から収入を得ていました。多くのリサーチ・プロジェクトを行うようになってからは、国内外を問わず、助成団体から資金を獲得してきました。2015年からの5年間は、アーツ・コラボラトリー(Arts Collaboratory)という国際的なネットワーク組織からの支援を受けていました。クンチもこの組織の運営者であり、メンバーでもあります。こういったもの以外にクンチの貯金もあり、これは各メンバーが、必要な時に使えるお金として、自発的に寄付してくれているものです。
Q. 私も参加したい活動だと感じました。お話は、学び合い、炊き出し、共同生活などアーティスティックな活動でしたが、Kunciのメンバーのkegiatan seniman(芸術家としての活動)そのものはどのようなものでしょうか。ともに生きるということが芸術ということでしょうか。また、歴史に関する、例えばG30Sなどに関する活動をされてますか。
A. これは大変興味深い質問ですね。ともに生きるということが芸術であるということは、私たちがジョグジャカルタで感じている最も大きなことです。私はこれが、インドネシアの他の多くの場所でも同様であると信じています。一緒にアートをするということも、生きるということなのです。
アートとは、社会的な実践なのです。これは、アメリカやヨーロッパのような西洋世界で発展してきたアートのカテゴリーとは異なるものです。アメリカやヨーロッパでは参加型アートや、協同型アートといい、現代美術や視覚芸術などとは「異なる」一種のアートとして、社会に関わっています。しかし、アートとは、それ自体が社会的実践なのです。
歴史に関わるような活動についてですが、クンチは一般市民の経験から歴史を記述するという試みを、いくつか行っています。これはとても重要なことです。なぜなら、私たちは学校で、権力者の視点から見た歴史しか習わないからです。ですから、創造的に、例えばアートを用いて歴史を記述していくことというのは、1965年9月30日の事件とともに始まった大量虐殺のような、権力者によって消し去られた、あるいは沈黙させられた歴史をすくい上げるという試みなのです。私たちはようやくヘルスリ・スティアワンのDari Dunia Dikepung Jangan dan Harusという本を出版しました。ヘルスリ・スティアワンは、歴史家であり、文学者でもありますが、政治犯としてブル島に流刑されもした人物です。ブル島は、12,000人ものアクティビストやアーティスト、知識人らが共産党の支持者だとして告訴、収監され、肉体的にも精神的にも拷問されてしまうような場所です。ヘルスリ・スティアワンはブル島から出た後に、その経験や、周囲の人々の経験について書きました。ですから、クンチとしても、インドネシア政府によって消し去られようとしている歴史的な事件について記述し、共通の記憶を打ち立てるような活動をしています。これが私たちの、知識人、そしてアートに関わる者としての社会的、政治的な責務です。
Q. インドネシア語の「芸術」はどのような範囲を指しますか?日本では、現代アートや世界の表現活動に詳しい人は、コレクティブのような活動を「芸術」と考える一方で、多くの日本人は、「芸術」という言葉からは、近代ヨーロッパの制度化された芸術しか思い浮かべません。表現活動と政治・社会活動の連続性は、インドネシアではどのように認識されているのでしょうか?
A. Southeast of Nowという雑誌に、ロジャー・ネルソンによって書かれた面白い論文があります。それは、東南アジアのいくつかの言語における「美術」、「モダン」、「コンテンポラリー」という言葉の訳を比較するというものです。残念ながらこの論文は英語でしか書かれていないのですが、リンクを共有いたします(https://muse.jhu.edu/article/707954)。
この論文のなかで、インドネシアのキュレーターであるジム・スパンカットは、インドネシア語における芸術(seni)という言葉が、美しさと技術の両方の意味を含んでいるということを明らかにしたと言及されています。この言葉が持つ意味は、思想や概念的なものだけではないのです。その結果、インドネシア語における芸術という言葉は、実際は手工芸的なものに近いものなのです。
様々な地域の文化から立ち現れたインドネシアの文化においては、美術も含め、表現活動というものは、社会的で政治的な活動なのです。表現活動は、道や市場、学校、王様が住む宮殿に至るまで、あらゆる社会の空間に現れるのです。それぞれの場所は、他の場所とは異なる特徴を持っています。逆に、芸術大学で教わるような芸術は、社会的な活動から切り離されてしまっています。そこでは、学生がそれぞれ個別に芸術を学んでいます。これは恐らく、インドネシアの近現代美術の形成に多大な影響を与えたヨーロッパやアメリカ風の美術との関連があると思われます。しかし、地域の芸術や文化として定義されているものとの交渉も、常にあるのです。その交渉や翻訳、受容のプロセスが、表現形式を多様なものにしているのです。
※報告者註
ジム・スパンカットによるスニ・ルパという言葉についての論考は、ジム・スパンカット(都築悦子訳)「インドネシアの現代美術―ひとつの連続」古市保子・小林泉編『現代美術シンポジウム1994:アジア思潮のポテンシャル』1994年、38−49頁や、ジム・スパンカット(藤原えりみ訳)「インドネシアにおけるモダニズムの出現とその背景」古市保子・中本和美編『アジアのモダニズム その多様な展開:インドネシア、フィリピン、タイ』(展覧会図録)1995年、17−28頁で、日本語で読むことができます。
Q. 元々の活動が教育と関わり、社会性、公共性の強い活動。パンデミック以降の活動がとてもソーシャルな要素が強く、常にアクティブであることに敬意を表したい。チャット欄の質問でも活動費をどこから得ているのか、国際的なネットワークからの助成やサポートもあるのかが知りたい。
A. 国際的な組織からの援助もありますし、メンバーそれぞれのお給料からクンチの貯金に寄付されるものもあります。クンチの運営資金に関することとして、私は次のようなことを確信しています。それは、たとえこの先いつか、クンチのお金がなくなってしまったとしても、こういった活動は続いていくということです。恐らく今とは異なった方法や、規模を縮小して行われていくのだと思います。なぜなら、共に何かをするということや、共に学ぶということは、既に必要不可欠のものとなっているからです。
Q. コレクティブの成り立ちが社会状況に対する反動の中で成り立ってきたことや、社会と関係しながら独自の活動を成立させてきたことに興味を持ちながら拝聴しました。
近年世界のアートシーンからコレクティブが注目されていますが、そのことにより今までの活動に何か変化はありましたか?
A. 最近は、コレクティヴや美術の問題について議論するイベントが多くなってきました。その結果、クンチもこれらの問題に関わるようなものへ招待されることが増え、協力することやコレクティヴということの意味について議論することに興味を持った芸術関係の人々に多く出会うようになりました。しかし私個人としては、コレクティヴというのは社会活動から切り離せるものではないということを忘れぬよう、気をつけなければならないと考えています。私にとってコレクティヴの目的とは、メンバーやその周囲の人々にとって、公平かつ健康で豊かな生活を作り出すということです。良い人生というのは、良い作品であり、逆もまた然りです。時々、芸術家、とりわけ国際的なアーティストたちは、どうやって良い作品を作るかということに集中し過ぎることがあります。なので、私たちは、重要なことは生きるということなのだということを、互いに覚えておかなければならないのです。
おわりに
アートはそれ自体が社会的実践であり、それは欧米の参加型アートなどとも異なるものなのだということが、トークの中で紹介して頂いた活動の根底にはっきりと感じられます。既成の概念に縛られない、地域の必要性に応じた表現活動が、確かに根を張って成長しているということが、今回のトークを通してよく伝わったのではないでしょうか。
ディナさん、貴重なお話をどうもありがとうございました。


- 開催場所
- オンライン開催(Zoomを使用)
- 登壇者
- シャフィアトゥディナ(Syafiatudina)