羽鳥悠樹(福岡県文化振興課学芸員)
奪われた集まる自由
洋の東西を問わず、人類は常に集団を形成し、人と人の関わり合いのなかで生きてきた。古代ギリシャでは、人々の集住から都市国家が生まれ、日本でも縄文時代にはムラが形成され始める。近代に確立された、国民国家という制度の中で生活している我々は、大小あれど、自分が何らかの集団に属していることを疑うことはない。現代生活においては、学校や会社、喫茶店、ライブハウスと、人々は毎日どこかで集まっている。しかし、2020年、年明けから数ヶ月のうちにこの世界を一気に飲み込んだ新型コロナウイルスによって、我々はこの行為の自由を奪われてしまった。
この事態に直面した時、インドネシアのコレクティヴの人たちのことが頭に浮かんだ。なぜなら、後述するように、今まさに規制されている「集まる」という行為そのものが、彼らの活動の核にあるからだ。その自由を失った彼らは今、どのような課題に直面し、それをどのように乗り越えようとしているのか。インドネシアの近現代美術史を専門とする学芸員として、彼らの現状を共有し、ともに考えていくことが急務と思われた。そしてそれは、人類に普遍的な問題にも繋がっている。
歴史を紐解けば、世界はこのようなパンデミックを何度も経験してきた。ペストは大きく分ければ3回世界を襲い、14世紀に流行したものは、最終的に1億人もの命を奪った。20世紀前半には、H1N1亜型インフルエンザ、通称スペインかぜが猛威を振るった。1919年、日本でも感染が拡大していたスペインかぜに対して、時の内務省衛生局は「流行性感冒豫防心得」を出し、
二、澤山人の集まつて居る所に立ち入るな
時節柄芝居、寄席、活動寫眞などには行かぬがよい
と、人が集まることに規制をかけている[1]。学校も休校となり、各種インフラにも甚大な影響を与え、日本では40万人近い死者を出したこのパンデミックは、集団罹患が進み、徐々に収束していった結果、「忘れられた」存在となる。経済学者の速水融は、この人類史上最も多くの死者を出した感染症の一つが忘れ去られた理由について、同時期に起こった関東大震災などに比べ「日本の景観は少しもかわらなかった」からではないかと指摘している[2]。収束後、人々は何事もなかったかのように、元の生活に戻っていった。
それを思うと、新型コロナウイルスは、我々の行動様式に、目には見えない大きな変化をもたらしている点で、大きな注意を要さなければならない。実際に集まり、人に会うことができなくなった我々は、その場をインターネット上に移していっているのである。会議、商談、学校の授業や学会発表など、あらゆるものがオンラインで行われるようになった。確かに、移動にかかるコストや時間は削減され、国外の人とも瞬時にやり取りが可能になり、インターネットの利便性に改めて注目が集まっているし、その利便性に異議を唱えるつもりはない。
だがその一方で、この急速な不可視の変化には危険な面もある。昨年のお盆の時期には「オンライン帰省」という言葉が流行した。人の移動や集まりを抑制し、オンライン上で遠い家族と団欒することで、それを帰省としようというのだ。しかし、これはオンラインという名のもとに、行為そのものが別のものに巧妙にすり替えられている。このままでは、便利さに引き換え、我々は何か大切な感覚を失ってしまうのではないか。
こうした状況について考えるために、この度九州芸文館美術展実行委員会では、今再び危機に晒された「人が集まる」ということをテーマに、インドネシアのコレクティヴの実践を参照しながら、その行為の意味と、パンデミック下における可能性を、オンラインとオフラインの両面から探る企画「コレクティヴと考える―パンデミック以降の地域文化活動の可能性」を開催する。本企画を行うに当たり、二つのことについて予め説明しなくてはならないだろう。一つは、近年美術界で頻繁に耳にするようになったコレクティヴという言葉について。もう一つは、なぜインドネシアのコレクティヴなのか、ということについて。本稿では、この二つの問題と、本企画の枠組みについて詳述したい。
コレクティヴとは
2018年には『美術手帖』がコレクティヴの特集を組み[3]、2019年にはインドネシアで活動するコレクティヴのルアンルパ(ruangrupa)がドクメンタ15のディレクターに就任。昨年の横浜トリエンナーレでも、インドのラクス・メディア・コレクティヴ(Raqs Media Collective、以下ラクス)が芸術監督を務めるなど、世界的にコレクティヴというものへの注目度は年々高まっている。しかし、横浜トリエンナーレのウェブサイト上では、ラクスを「アーティスト集団」と呼び、コレクティヴと集団という言葉の明確な区別は行っていない。日本で集団で活動しているChim↑Pomは、かつてアーティスト集団と自称していたが、現在公式ウェブサイト上では、自らをアーティストコレクティヴであるとしている。この言葉の定義はまだ曖昧で、色々なものと混同して使用されていることは否めない。
コレクティヴとは一体何なのか。これをはっきりと定義することは、現段階では難しい。また、コレクティヴという言葉の定義をすることが本企画の目的でもない。しかし、コレクティヴという言葉を冠した企画を行う以上、本企画のなかでこの言葉が指すものは明らかにしておく必要があるだろう。
コレクティヴという言葉自体は、英語で集団・集団性といった意味で、コレクティヴ・ハウジング、ワーカーズ・コレクティヴなど、日本語としても様々な領域で使用されている言葉である[4]。それがここ数年の間に、美術界で集団で活動する人たちに対して使われるようになった。
この言葉が混乱を与えているのは、その新しく出てきた集団的活動のみならず、これまでコレクティヴと名指されていなかったような活動までもがコレクティヴと言われたり、コレクティヴ的だと考えられるようになったからではないだろうか。先述の『美術手帖』の特集では、筒井宏樹氏や富井玲子氏が、戦後の日本の美術団体や運動を、現代のコレクティヴという視点から捉え直そうと試みている[5]。これまでとは異なる視点からそうした活動を分析することは、刺激的ではあるものの、団体や集団というものとコレクティヴを分かつものは何なのかということは、かえって曖昧になっている。
しかし、現代のコレクティヴの活動に対する認識においては、複数の研究者の間で共通しているものがある。筒井氏は、2000年以降の日本のアート活動の場に対して、「アーティストの側も、従来のようにグループで制作を共にするだけではなく、キュレーション、マネージメント、スペースの運営など、活動を続けていくうえでそれぞれ異なる役割を分担しながら、緩やかにひとつの集まりを形成しているように思える。」と、作品制作にとどまらない多様な活動形態を、コレクティヴ的な傾向として指摘している[6]。自身も画家として活動する石原葉氏は、同時代のコレクティヴ的な活動に関わる人々の論考や記事、インタビューなどの分析を通し、次のような特徴を拾い上げた[7]。すなわち、「ヒエラルキーやルール、システムに基づく」集合体ではなく、「個々の力の均衡が取れてい」て、「スキルや思考、アイデアをシェア」し、「個人では成し遂げられないものを得られることに価値を見出した、能動的な個人の集合体」であり、そこには「軽やかさ」が伴う、と。
作品制作のみを目的とせず、それぞれがそれぞれの役割を全うし、知識やアイディアを共有しながら、多様な方向へと活動が進んでいくというのは、現代の、少なくともインドネシアのコレクティヴの在り方には概ね一致しているように思われる。ルアンルパは、ドクメンタ15のコンセプトに米倉、穀物倉という意味を持つ「ルンブン(Lumbung)」という言葉を掲げた。ストックされたものは、地域コミュニティの人々の共有物となり、皆が使用することができるルンブンは、コレクティヴ的な考え方をよく表している。このコンセプトに基づき、彼らは様々な人々やコミュニティとアイディアの共有を図り、ドクメンタ15を大きなコレクティヴ的実践の場としようとしている。
また、筒井、石原両氏が指摘しているような「緩やかさ」、「軽やかさ」というのも、コレクティヴという組織の特徴の一つと言えそうだ。本企画で招待しているインドネシアのコレクティヴも、メンバーの誰かが強いイニシアティヴを握っているような例は見られず、むしろ、今誰がメンバーとして活動しているのか正確には分からなかったり、地域住民もメンバーとして考えているなど、フラットで緩い関係性が見られる。
こうした特徴に加え、本企画でコレクティヴとして招待した八つの組織には、もう二つ、共通する重要な概念がある。一つは、「集まる」という行為そのものが目的になっているということだ。彼らは明確に定まった一つの目標を達成するために集団を形成するのではなく、まず集まり、コミュニケーションを取ること自体を重要視している。集まって、人と話しをすることから、活動の方向性が決まっていくのだ。
もう一つは、領域横断的であるということ。インドネシアのコレクティヴの調査を行う過程で、彼らが異口同音に領域横断的(Lintas Disiplin)であることが大切だと述べていたことがとても印象に残っている。実際彼らの実践は、教育、農業、政治、社会など、あらゆる境界を易易と越えて、互いに協働しており、決してアートという狭い世界にとどまってはいない。
今後のトークの内容を先取りしてしまうことになるので、ここで今回参加している各コレクティヴの事例を説明することは控えるが、本企画では、こここまで見てきたような特徴を持つものをコレクティヴと考え、その言葉のもとに今回の8組を招待した。
なぜ今インドネシアなのか
コレクティヴの活動は、何もインドネシアにのみ独自なものではない。それでは、なぜインドネシアのコレクティヴに着目するのか。それは、アジアの美術の歴史、そしてインドネシアの美術や文化的な歴史との繋がりに興味深い点があるからだ。
1999年、それまで福岡市美術館が行ってきたアジア美術展を継承、発展させ、福岡アジア美術館が開館し、その記念展として行われた第1回福岡アジア美術トリエンナーレは、同時代のアジアの美術の特徴は3つのCに集約されるとした。すなわち、コミュニティ、コミュニケーション、コラボレーションである。例えば、シンガポールの女性アーティスト、アマンダ・ヘンは、道端などに椅子とテーブルを置き、テーブルの上にモヤシを用意して、鑑賞者とそのモヤシのひげをとりながら談笑するということを作品とした。美術館を飛び出し、地域共同体のなかへ入り込み、そこで鑑賞者たちと関わり合いながら共同すること自体が作品となっている。
当時の福岡アジア美術館の学芸課長、後小路雅弘氏は、「アートはアーティストが「作る」ものであるという普遍的とも思えた定義がきわめて曖昧になってき」ており、「アーティストは場を組織するもの」でもあると、アジアの現代美術の特徴として、作品制作にとどまらない傾向を指摘している。
この時、当時同館学芸員の黒田雷児氏は、そういったアジアのアーティストが持つ作品の傾向は、いわゆる西欧的な「美術」と呼ばれるものではないかもしれないが、その創造的なコミュニケーション回路を切り開く美術家の活動の総体にこそ、アジアの「美術」独自の姿があると述べており、福岡アジア美術館は西欧由来の「美術」という概念を問い直そうと試みてきた。
本企画が、地域文化活動という言葉にアートという言葉を重ねているのも、こうした文脈を踏まえ、地域文化活動をいわゆる「美術」や「アート」として見るということではなく、「アート」の概念を拡張して考えていこうという意味合いを込めて用いているものである。
さて、90年代以降増えてきたこうしたアジアのアーティストの傾向は、その後、一人の特権的なアーティストがイニシアティヴを握り、場を組織するものから、アーティスト同士が、あるいはアーティスト以外の人たちも含めて集団を形成し、より大きな拡がりを持って場が組織されるようになっていく。それこそが、本企画の中心となっているコレクティヴである。コレクティヴとは、先に引用した3つのCが集約された、4つ目のCであると言えるのではないだろうか。
彼らは地域コミュニティの一員として、その地域の課題について考え、互いに関わり合い、知識や経験を共有しながら、一人では成し得ないことを現実に興そうとしている。その時に最も重要となることが、「人が集まる」ということだ。コミュニティもコミュニケーションもコラボレーションも、一人では成立しない。彼らはまず集まり、そこで他愛もない冗談話をしながら、時に偶然の出会いに身を任せ、ゆるやかに繋がりながら、現実の問題に対処していく。コレクティヴ的な考え方は、アジアの現代美術の特徴の延長線上にあると言えるだろう。
もちろん、今やアジアの美術のみにこうした傾向が見られるわけではないが、この歴史的な関連性は興味深く、こうした観点で同時代のアジアにおける実践に注目していくことは重要なことと思われる。そこからインドネシアに焦点を絞っていくと、そこにもコレクティヴ的な在り方が受け入れられていく土壌が、歴史的に醸成されていたことが分かる。
インドネシアでは、美術大学という制度が出来上がるのとほとんど同時期に、サンガル(Sanggar)と呼ばれる、私的な画塾のようなものが勃興する。彼らは通常、拠点となる場を持ち、そこに集まり、共に学び合い、作品制作や展覧会をし、雑誌の発行を行うものもあった。インドネシア近代美術の父と称される画家S. スジョヨノ(1913-1986)が組織したインドネシア青年芸術家(Seniman Indonesia Muda、以下SIM)は、いくつかの点で現在のコレクティヴに通ずるものがある[8]。例えば、基本的に希望者は誰でも受け入れていたという姿勢は、メンバーをあまり固定しない、開かれた存在である点でコレクティヴと共通しているだろう。絵画指導の方法も、いわゆる先生と学生のような関係ではなく、まずはとにかく自由に、そしてひたすら描かせ、スジョヨノが良いと言うか、本人が良いと思うまでそれが続いたという(通常それは8ヶ月以上に渡った)。理論的なことも、誰かが講義をするということはなく、普段の会話のなかで折に触れて話していたそうで、上下関係の薄い緩やかな関係性が、1940年代の組織に既に見られるのである。
スジョヨノは、1930年前後に初めて中部ジャワのジョグジャカルタを訪れた時、人々が夜な夜な外に出て集まり、道端で人生や哲学について議論を交わしていたことを印象的に振り返っている[9]。美術の世界に限らず、インドネシアの人は昔から集まって人とおしゃべりをするということが生活のなかにあるらしい。
実際、こうしたことがインドネシアに独自のことなのか、現代のコレクティヴ的な在り方がインドネシアで突出して発展しているのかということは、別の国や地域の事例と比較していかなければならず、研究の進展が待たれる。しかし、少なくともインドネシアでは人々が古くからコレクティヴ的な連帯を生み出してきており、近年盛り上がりを見せるインドネシアのコレクティヴの活動が、単に現代美術の潮流に乗った一過性のブームであるとは考えにくい。また、2010年にはルアンルパのアデ・ダルマワン(Ade Darmawan)らによって、インドネシアのコレクティヴをテーマとした展覧会「フィクサー」(Fixer)が開催された(当時はコレクティヴという言葉はほとんど使われず、組織(organisasi)や集団(kelompok)という言葉が使われている)。2021年には、ジャカルタの複合コレクティヴであるグッドスクル(Gudskul)が「フィクサー」展を引き継ぎ、その後の10年間におけるコレクティヴの活動についての研究成果を出版する予定である。このように、コレクティヴの活動をコレクティヴ自らがこれほど自覚的に研究、発表している例は、管見の限り他には見当たらない。
ここまで見てきたように、インドネシアはコレクティヴ的な在り方を歴史的に醸成してきており、現在もその活動を積極的に調査、研究し、世に問うている。アジアの美術の歴史にも連なる彼らの活動について考えることは、多方面からコレクティヴを、そして人が「集まる」という普遍的なことを考えるきっかけとして、十分に意義のあることといえよう。
企画の枠組み
以上のような問題意識を持つ本企画は、まず大枠として、「コレクティヴと考える―パンデミック以降の地域文化活動の可能性」というものがある。そのなかにオンライン・トークと、オフラインで進行する「コレクティヴちっご」の二つのプロジェクトが存在し、オンラインとオフラインの両面から、人が集まるということについて、参加者全員で考えていくという構造になっている。
オンライン・トークでは、インドネシアから8組のコレクティヴを招き、それぞれの活動について共有してもらう。オフラインで進行する「コレクティヴちっご」は、予めメンバーを募集し、メンバーはオンライン・トークの際に九州芸文館に集まってもらい、一緒にコレクティヴのトークを聴講する。そして、オンライン・トーク終了後にも、この現地のメンバーはディスカッションを続けていく。インドネシアの人々の事例を参考にしながら、九州芸文館が位置するこの筑後地域において、今、我々に何ができるのかということを一緒に考え、最終的にはこのメンバーで何か地域文化活動を企画、実施しようというプロジェクトである。
オンライン・トークのみで完結しないようにしたのは、「人が集まる」という実際の行為について考えるときに、オンライン上のみで行っていくことは、それ自体に大きな矛盾を抱えていると思われたからだ。本稿冒頭で述べたように、オンライン全盛の昨今、そこに批判的な視線を向け、その良し悪しを冷静に見極めていく必要があるはずだ。
この2つのプロジェクトは、随時、特設ウェブサイトにアーカイブされていき、双方のプロジェクトで何が起こっているのかということを、ウェブサイトを通して見ることができる。このウェブサイトは、言わば回を追うごとに発展していく、本企画のヴァーチャルな展覧会といえる。
本企画は、実施の時点で既に全ての成果が出揃っており、それを公にするというものではない。企画が進行していくと同時に、コレクティヴの人々や参加者との意見交換を通し、今後の可能性を考えていくものである。本企画終了後に、何が見えてくるのか。その時改めて、このパンデミック下における人々の「集まる」という行為の可能性について論じたい。
[1] 内務省衛生局編『流行性感冒』内務省衛生局、1922年、119頁。
[2] 速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』藤原書店、2006年、429-432頁。
[3] 『美術手帖』4・5月号、2018年。
[4] 江上賢一郎氏によれば、その語源はラテン語の「Col(ともに)」と「Legere(集まる・選び出す)」である(江上賢一郎「「ともに集まること」が現実を生み出す―東南アジアのコレクティヴについての素画―」『美術手帖』4・5月号、2018年、100-101頁。
[5] 筒井宏樹「戦後日本のアート・コレクティヴ史」『美術手帖』4・5月号、2018年、114−116頁。富井玲子「日本のコレクティビズム再考―DIY精神のDNAを〈オペレーション〉に探る」『美術手帖』4・5月号、2018年、125−130頁。
[6] 筒井、前掲論文、114頁。
[7] 石原葉「アートコレクティヴとは」『東北芸術工科大学紀要』25号、2018年、7頁。
[8] 以下、SIMの活動については、2019年8月3日にKedai Kopi Sang Ahli Gambarで行ったスジョヨノの長男テジャバユ氏(Tedjabayu)へのインタビューに基づく。
[9] S. Sudjojono, Cerita tentang Saya dan Orang-orang Sekitar Saya, Jakarta, 2017, p. 26.