2021年6月13日(日)13:30〜15:30
シク・ルアン・トゥルパドゥ(SIKU Ruang Terpadu)
登壇者:アディン・アミルディン(Adin Amiruddin)、ムハンマド・ライス(Muhammad Rais)
文:羽鳥悠樹(福岡県文化振興課学芸員)
今回は、前回に引き続き同じスラウェシ島のマカッサルから、シク・ルアン・トゥルパドゥ(以下、シク)をお迎えして、お話を伺いました。
シクは、もともと別々に活動していたユニット同士が共同し、一つの集団を形成することになった、複合的なコレクティヴです。設立は2019年で、メンバーも20代から30代が中心と、比較的若いコレクティヴです。本日は2人のメンバー、アディンさんとライスさんにお話ししていただきました。
トーク
シク設立背景と概要
まずはどうしてそれぞれのユニットが一つのコレクティヴにまとまることになったのか、その背景を説明してくれました。彼らはそれまで各々が行っていた活動を続けていくための、共通の課題を抱えていたといいます。それは、活動の拠点となる場所を必要としていた、ということでした。同様の課題を抱えていた彼らは、最終的に同じ一つの場所をシェアすることになり、シクの活動が始まったとのことです。
非常に面白い点は、質疑応答の際にも述べられましたが、彼らは明確なヴィジョンやミッションを共有して集まったわけではないのです。彼らが集まったのは、飽くまで自分たちの活動を続けていくための方法としてでした。これまで本企画でトークをしてくれたコレクティヴは、大学への不満や地域の芸術活動の振興、本を媒介にコミュニティをデザインするというように、何らかのヴィジョンやミッションを持って始まった側面がありましたが、シクは他のコレクティヴとは順序が違いました。しかし、改めて考えてみれば、それで何かいけないこともないのです。目的がはっきりしてからでないと進めないという意識は、むしろはじめの一歩のハードルを必要以上に高いものにしてしまっているのです。シクのような始まり方こそ、自然なのかもしれません。まず集まり、そこから何かが生まれていく。ノンクロンから始まる文化。まだまだ面白い可能性がたくさんありそうです。
シクとはインドネシア語で「角(かど)」という意味です。シクの拠点は、通りの奥まった場所の角にあり、そこから命名されたそう。ロゴマークは、地図上のシクが位置する場所を示しています。
シクの施設には4つの空間があります。ギャラリー、多目的室、レジデンス施設、そしてスタジオです。ギャラリーは、展覧会やワークショップ、ディスカッション・イベントを行うための場所で、シク以外の人もレンタルして使えるそうです。多目的室は、設立当初は居間のような感覚で考えていたそうですが、活動を進めていく中で、多目的室のようなフレキシブルな空間としての必要性が出てきたために、用途を変更したとのことです。シクの活動は、このように非常に有機的に、その状況に合わせて常に流動的に動いていくところに特徴があります。
レジデンス施設は、2階にあり、アーティストや研究者が宿泊できる設備があるそうです。そしてスタジオ。全部で5つのスタジオがあり、4つはシクのそれぞれのユニットが使用し、残りの1つは貸し出しを行っているとのこと。今後のトークでも明らかになっていくと思いますが、コレクティヴの施設はおおよそこういった構成で形成されています。展覧会を行うことができる空間、レジデンス施設、それにカフェとショップを持っているところが多いです。シクも、施設としては紹介されませんでしたが、独自のカフェを運営しています。こういったところからも、インドネシアのコレクティヴではどのようなものが必要とされているのか、重視されているのかが見えてくるような気がします。
たまり場
シクは、複数のユニットが一つのコレクティヴを形成しているため、それだけでも十分活動は多分野に渡るのですが、さらに彼らは意図的にそれらが交わり合う運営形態を採用しています。5つの運営部局に分かれ、それぞれのユニットが、複数の部局を担当することにより、必然的に異なる分野の人々が交わりながら活動が展開されることになります。
シクの活動は、人と人の出会いや関わりのなかから生まれてくると、ライスさんは語ります。コレクティヴの名称であるルアン・トゥルパドゥというのは、「統合的な場」というような意味で、彼らが必要としていた場は、他分野と繋がりを持つものが想定されていました。
シクは何をしているのかと問われれば、みんなでだべっている、シクはそういう場所だと答える、とライスさんは述べます。そこでは、集まって、ただおしゃべりする時間が非常に重要であることが強く認識されています。シクの存在自体も、その過程で生まれたものとのこと。シクは、「たまり場」というものが非常に重要だと認識し、こういった場所での交流が、活動に必要なアイディアなどを生み出していると語ってくれました。
ものごとの意思決定プロセスが、日本のそれとは大きく異なっていますね。同時進行している企画「コレクティヴちっご」では、まさにライスさんに語っていただいたことを実践しています。ここからどんなことが生まれてくるのか。それについては、今後追ってご報告していきます。
近所付き合い
彼らはこれまでのコレクティヴとは異なり、設立当初から地域社会に対する活動を考えていたわけではありませんでした。実際にシクとして場所を持ってから、隣近所というものを意識するようになったと言います。現在の場所で活動を進めていくうちに、住民との関わりの重要性に気が付き、それから意識的に住民との交流を行っていったのです。
シクは、アートという枠にこだわらず、近隣住民の方々が好んでいるゲームの存在を知ると、持ち前の組織力からそのゲームの大会を開催しました。住民とシクの間には、世代というギャップがあり、さらに彼らはよそ者としてその土地に入っていったわけですが、こうした活動を通して、お互いに打ち解けていくこととなり、結果として新しいコミュニティが形成されることとなりました。
シクが住民に寄り添った結果、今度は住民側がシクの世界に入ってくれるようになりました。なんと、町内会長さんがシクで行われた展覧会に作品を出品してくれたというのです。恐らくその町内会長さんの作品は、いわゆるアートの世界からは特別注目を集めるものではないかもしれません。しかし、ここではその作品、そして彼の出品という行為自体が、シクと住民の関係性を象徴するものとして極めて重要な意味を持っています。地域とアートが、最も自然なかたちで交わりあった例と言えるのではないでしょうか。
目に見えない価値を認める
シクは経済的な自立を志向しながらも、初回のガイダンスで学んだ相互扶助の精神をよく表していると思います。それぞれのユニットには、それぞれのポテンシャルがあり、なかには経済的な利益を生むようなものもありますが、一方でそうではない活動をしているユニットもあります。そういった時に、余力のあるユニットが運営資金を拠出し、商業的でないユニットは、別のかたちでシクに貢献するという考え方をしているといいます。
これは、口で言うのは簡単ですが、実際に行うことは非常に困難なことです。なぜなら、この別のかたちでの貢献というのは、往々にして目に見えない価値を生み出しているものだからです。その一方で、金銭的な価値というのは最もわかりやすく可視化されます。理想として、双方の価値を同等に認めようと考えていても、目の前に数字として出てくるものに人は囚われてしまう傾向があります。日本の美術館の評価が、まだまだ来館者ベースで考えられることが多いことからも、それは明らかです。シクのこうした姿勢は本当に素晴らしいことだと思います。
彼らが理想とする場を存続させるために必要なものは、経済的な通貨だけではない、お金だけを見ていてはいけないと、はっきりと語ってくれました。こうした考え方を成り立たせているのが、インドネシアの相互扶助の精神なのかもしれません。
集まりたいという欲求
コロナ禍になり、カフェの営業などが停止に追い込まれる中、限られた条件のなかでノンクロンを続けてきた彼ら。そこで浮かび上がってきたのは、シクのメンバーだけでなく、地域住民たちもまた、集まって話す場を求めているということでした。シクが重要視していた「たまり場」は、地域の人々にとっても必要な場であったようです。より正確には、こうした民衆のなかで育まれてきたノンクロン文化があり、それを活用し大きな推進力を得たのが現在のインドネシアのコレクティヴなのでしょう。
ライスさんは、今改めてシクのヴィジョンは何なのかと問われれば、それは、異なる背景を持った人々が出会う場を維持していくことである、と語ってくれました。地域に根を張った実践から得られたこのヴィジョンには、強い説得力と信念が感じられました。
アンケートより
・最初から目標があるのではなく、まずはノンクロンから生まれるという順番は、活動のあり方としてとても面白かった。
ありがとうございます。まさに、シクの紹介を通して伝えたかったことの一つです。そしてこれは、日本で最も受け入れられにくい考え方ではないかとも思います。少しでもこうした活動の在り方の魅力が伝わっていたら幸いです。
・今回はアーティストが活動を持続するための戦略事例として、アートの領域ではむしろ本来的なコレクティブのように思いました。必ずしも社会課題の解決が前提でなくてもよいはずなので。「ノンクロン」の概念や意義が、すでにインドネシアのコレクティブの間で明確に共有され、方法論として活用されているという印象も持ちました。
「社会課題の解決が前提でなくてもよい」というのはまさしくその通りだと思います。実際にそこで活動をし、生活をしていくなかで見えてきたものに対応していくという意味では、むしろこのような順序の方が自然なのかもしれません。
・ストリートアートやグラフィティといった大衆文化を用いた活動に関心を持ちました。一方で地域の人々とも交流しており、そうした双方の活動がとても興味深いです。
ストリート・アートやグラフィティは、元をたどればまさに民衆の表現と言えるものですし、それがインドネシアでどのように受け容れられ、地域との関わりのなかでどのように発展しているのかは、とても興味深い問題だと思います。今回登壇していただいたアディンさんは、まさにこの分野で活躍されており、今後の活動にも注目していきたいですね。
おわりに
第5回は、マカッサルで活動するコレクティヴ、シク・ルアン・トゥルパドゥから、アディンさんとライスさんをお迎えしました。シクは、これまでのコレクティヴとは異なり、自分たちの活動を始めてから、地域の人々との関わりの重要性を強く認識するようになりました。それから近隣住民との交流を進め、現在では街と一体となって活動を展開しています。筆者には、これが文化活動の本来的な在り方のように思えました。地域に本当に必要とされているのは、近年日本で乱立しているビエンナーレ、トリエンナーレといった短期間の幻想的な祝祭ではなく、実際の生活の中から得られる感覚に基づいた、現実感と切実さを伴った活動なのではないでしょうか。
アディンさん、ライスさん、本日は貴重なお話をどうもありがとうございました。


- 開催場所
- オンライン開催(Zoomを使用)
- 登壇者
- アディン・アミルディン(Adin Amiruddin)、ムハンマド・ライス(Muhammad Rais)