2021年8月~2022年1月
文:青栁隆之介(福岡県文化振興課学芸員)
当初予定されていたプログラムを2021年7月25日(日)に完了した「コレクティヴちっご」は、その後もメンバーによる不定期のノンクロンを続けながら、実践活動に向けた準備を進めました。過去9回にわたる話し合いを総括すると、「コレクティヴちっご」の実践のヴィジョンとは、筑後の文化を「ものづくり」という視点から掘り下げていき、この活動を通じて住んでいる場所や専門が異なる人々が「関わり合い」、これからの時代を「生きていく」ことについて考えるというものでした。
8月以降にオンラインを中心に開催されたノンクロンで特に印象的だったのは、メンバーは実践内容を検討するにあたり、活動の持続性と対話による双方向性に重きを置いていたということです。つまり、イベントなど単発の企画の開催を目指すのではなく、今ここで行っているノンクロン自体を実践と捉え、今後もその延長線上にある活動というものをイメージしていたのです。そうした認識のもと、ノンクロンを重ねるごとに具体的な活動計画も定まっていき、最終的には地域文化を支える人々に取材という形で交流を行い、その内容をドキュメンテーションしていくことになりました。
メンバーは筑後におけるほかの文化的実践の事例など、分野を問わず情報を持ち寄り、次の4つの団体に取材を行うことになりました。
まず、これまでのノンクロンでは、先に触れた「ものづくり」というキーワードを通して筑後の地域文化が語られることが多かったこともあり、繊維芸術に携わる九州全域の表現者たちが集う「ITOBA」に取材を依頼しました。特に、小郡市を拠点にする作家である田篭みつえさんが発起人であるということは、筑後のものづくり文化を考察するうえでも見逃せない点です。
次に、自分史を通じた生涯学習の場として、八女地域を中心に活動を行う「黄櫨の会」です。1997年に設立され、今回取材をする中では最も歴史が長い団体です。また、ほかの自分史サークルにはない独自の特徴に、自費出版物を蔵書する「自分史図書館」を持ち、書籍による地域文化の保存・継承に取り組んでいる点が挙げられます。コレクティヴと図書館という組み合わせはオンライン・トークに登壇したカタクルジャの活動を想起させるとともに、地域文化をアーカイヴ化する取り組みもまたラコアット・クジャワスなどの実践に通ずるものがあります。
3つ目は、第8回のノンクロンにゲストとして参加してくださった「まつばらベリーファーム」。夫婦で筑後市に移り住み、会社員から農家へ転身したイチゴ農園です。これまでの話し合いの中では、農業も筑後文化を形成する大きな要素であり、生きるために何かをつくるという「ものづくり」の根底を支えるものではないかという考察がなされました。また、地域文化の魅力に気づき、活性化させるのは、外部からの移住者だという意見もありました。
最後は、日本有数の植木産地である久留米市で、樹木から蒸留されるアロマを用いた「香り」で町おこしを行う「緑の機能性研究所」です。植木生産者や緑化関係者が手を取り合い、それぞれの専門性を活かしたコレクティヴ的な活動を展開しています。
取材は9月から10月にかけて行いました。各団体は専門分野こそ違いますが、様々な人が集まることによって活動が成り立っている点では共通していて、過去のノンクロンでメンバーから出ていた、コレクティヴの類は身近なところにあるという考え方が、リアルなものとして実感できた時期でもありました。




取材の成果は「コレクティヴちっご」の活動を紹介するパンフレットとしてまとめました。掲載されるテキストの一部はメンバーによって執筆され、デザインにもメンバーの意見が反映されました。このパンフレットは、取材記事だけではなくノンクロンの中で決めた活動コンセプトやヴィジョン、これまで行ってきたプログラムの記録なども掲載され、「コレクティヴちっご」が歩んできた道のりのアーカイヴとしての機能も持っています。
さらに、2022年1月には取材先団体の協力により「コレクティヴちっごPRESENTS 真冬の汽水域」が九州芸文館で開催されました。こちらは、各団体が取り組んでいる活動をそれぞれ展示で紹介するとともに、公開でのノンクロンやワークショップなどのイベントを通じた人々の交流の場にもなりました。各団体とのコラボレーションによって実施された本企画は、「コレクティヴちっご」が重要視してきた人々との関わり合いが育んだ成果であり、イベントの内容などにも約半年の間にメンバーが出した多くのアイディアが活かされた、話し合いの集積がなければ実現できない企画でした。前述のパンフレットについても、展示会場で一般配布を行いました。






















5月から始まった「コレクティヴちっご」は、開始時点では明確なゴールさえ設定されていないゼロからのスタートでしたが、メンバーの他愛もない「おしゃべり」が、次第にアイディアや理想を共有する場となり、最後には一つのヴィジョンを持った文化的実践として実を結びました。目的も議題も持たない井戸端会議は、新型コロナウイルスの感染拡大以降は決して気軽に行えるものではなくなりましたが、今後はその可能性を改めて捉えなおすことが必要なのかもしれません。