2021年7月3日(土)
文:青栁隆之介(福岡県文化振興課学芸員)
コレクティヴちっごは今回を含めて残り3回となり、いよいよ終盤に差し掛かります。序盤の筑後地域の風土や文化についてのノンクロンから始まり、折り返しとなる第5回のメンバーのドリーム・プラン発表を経て、全体的な活動の方針についての意見交換に発展してきました。ここまでメンバー間でシェアされてきた情報やアイディアが、今後どのような形で実践につながっていくのでしょうか。
まずは、オンライン・トークの感想の共有から。今回のオンライン・トークに登壇したのはコムニタス・グブアック・コピ(Komunitas Gubuak Kopi、以下、グブアック・コピ)です。トークの中では、グブアック・コピが拠点を置くソロックは生活様式や環境が大都市とは異なり、首都ジャカルタのシステムをそのまま持ち込んでも、うまく機能しないことが説明されました。ある参加者は、トークを聞いたことで、日本でも同じく東京や大阪の文化や流行を地方に持ち込んでも、同じように受け入れられるとは限らず、実際には土地ごとに異なった特色や歴史があることを考える必要があると感じたといいます。ほかにも、オンライン通話でありがちな映像や音が乱れるといった不具合を逆手に取って、言葉遊びとして楽しむグブアック・コピのプロジェクトに、これまで実利主義的に物事を考えすぎていたかもしれないといった内省の声も聞かれました。
さて、前回からは対面形式での開催が可能になったコレクティヴちっごですが、参加者からは前向きなフィードバックも多数寄せられました。まず、仕事として日常的にアートに携わっている方は、アートに接点がない人が自分の話に興味を持ってくれるか不安を感じていたと話します。しかし、オフライン開催となった第6回では、トピックに関わらずメンバー全員が積極的に会話に参加することができていました。そして終盤では固定メンバー以外の飛び入り参加もあり、こうした体験もオフラインならではと感じた方もいたようです。さらに、これまであまりアートへの関心がなかったという参加者は、前回のノンクロンでアートの印象が変わり、多くの可能性を感じることができ、自分もイベントに参加してみたいと興奮気味に話します。この発言は、文化事業としてこれ以上ない成果といえますし、参加者のこうした変化が「対話」の中から生まれたことは、企画の意義が証明された瞬間でもありました。
西スマトラの文化についての会話もありました。オンライン・トークの中ではトーカーのアルベルトさんの名前が西洋風なのは宗教が関係しているのかという視聴者からの質問がありました。それに対し、アルベルトさんはミナンカバウ族とスカルノ政権の間での歴史が関係しており、1950年代以降の多くのミナンカバウの人々が西洋風かアラブ風の名前に改名したという経緯があり、その慣習の名残であると答えます。聴講後の参加者からは、名前が簡単に変えられることが驚いたという声がありました。しかし、メンバーの驚きはこれだけでは終わりません。部族によって例外はあるものの、なんとインドネシアには姓が存在しないのです。つまり、アルベルトさんのフルネームであるアルベルト・ラフマン・プトラは、すべて個人に与えられた名前ということになります。このことを知った参加者からは、夫婦別姓の議論もインドネシアでは起こりようがないね、と冗談まじりのコメントもありました。これまでのレポートでは、あまり取り上げてきませんでしたが、ノンクロンの中では実践活動とは直接的には関係のない、こうした会話の寄り道がたくさん行われています。これらを無駄な時間だと切り捨てることなく、肯定的に捉えていこうというのも、この井戸端会議の基本的理念といえます。
さて、前回のノンクロンで登場した「よそ者」というキーワードについても、メンバー間でさらに考えを深めていきました。前回は筑後の外にいる人に向けて発信を行っていくという方向性が見えてきましたが、今回は彼らに何を発信していくのかという話し合いが行われました。ある参加者からは、受け手にとって接点の少なかった分野が自分事に変わることで、新たな可能性が生まれるような活動にしたいという声がありました。これは、冒頭で紹介したアートのイメージが変わったという参加者のように、すでにコレクティヴちっごの内部では起き始めている現象で、今度はその変化を外部でも起こしていこうというわけですね。そして、「よそ者」というキーワードの解釈を拡げるやり取りもありました。その中では、地域だけではなく、業種や専門性における「よそ者」という捉え方もできるという意見がありました。前回話し合った、地域の垣根を乗り越えるということのほかにも、分野の壁を取り払い、専門外のことを自分事に変えていくというヴィジョンが少しずつですが見えてきました。インドネシアのコレクティヴの特徴として領域横断的であることが挙げられますが、コレクティヴちっごの実践にもそうした要素を意識的に取り入れていこうとメンバーは考えているようです。
ここで、筑後地域と福岡の都心の距離に関するトピックに移ります。筑後市と福岡市は直線距離にしておよそ40km離れていますが、参加者は、筑後から福岡にはすぐに行ける距離だと感じる一方、福岡から筑後に行くというのは遠出するイメージだと話します。進行方向が反対なだけで移動距離は同じはずなのに、感覚としての距離が違うというのはなんとも奇妙な話ですが、共感する声も多くなかなか興味深い現象です。会話の中では、福岡に行く場合は大抵複数の予定があるけど、筑後にはある特定の用事のためだけに出向くからではないかと考察する人もいました。また、筑後地域に住んでいる参加者の方は、東京から新幹線で帰っていると、途中駅の大阪や広島で多くの乗客が降りていき、最後に乗っているのは自分だけということも少なくないそうで、そこで改めて筑後の人口の少なさを実感するといいます。しかし、その方は悲観することなく、人がいなければ自分から外に出向いたり、あるいはそうした環境を逆手に取ったりしていけばよいと力を込めて話します。ほかにも、休日の吉井町では、若い女性が複数人で会話しながら歩いている姿をよく見るという話もありました。一日かけて古民家の喫茶店を巡るなど地方での休日を楽しんでいる女性は多く、インスタグラムの投稿などもよく目にするため、ピンポイントのニーズはあるといいます。やはり、そうした地方の環境を好意的に捉えられるのも「よそ者」ということなのでしょう。どうすれば「遠出」という距離感を乗り越えて、外部の人に関心を持ってもらえるのかについても考えていきたいですね。
今回はこの辺りで終了の時間を迎えました。直近数回の内容と比較すると、実践活動に向けた具体的な話し合いは多くはなかったようにも思います。それでも「よそ者」が今後の実践での重要なキーワードになりそうだということが確認できましたし、そこに領域横断的な意味合いも生まれつつあります。そして先に述べたように、本企画の試みの一つとして、会話の寄り道にも積極的に価値を見出していこうというものがあります。ノンクロンでシェアされた情報の大半は、明日すぐに役立つものではありませんが、このプログラムの終わり際か、あるいは数年先の実生活において、アイディアの材料となる日が来るかもしれません。形のある成果物が完成するかどうかだけではなく、参加者の学びや変化にも注目しながらプログラムの完走を目指していきたいところです。
- 開催場所
- 九州芸文館