2021年6月6日(日)
文:青栁隆之介(福岡県文化振興課学芸員)
緊急事態宣言延長に伴い、第4回のコレクティヴちっごもオンラインでの開催となりました。
今回オンライン・トークに登壇したカタクルジャ(Katakerja)は、図書館の機能をベースにした活動を行っていました。カタクルジャの会員になる方法は、自分が読む価値があると思う本を2冊寄付するというユニークなもので、彼らはそれを人間の所有欲を見えづらくするためのシステムだと説明しています。コレクティヴちっごの参加者からは、寄付という入会方法は他に類例を知らないため興味深かったという感想や、「所有」という現代的な価値観に逆行するような取り組みで新鮮だったという反応もありました。
カタクルジャが所属するイニナワ・コミュニティという組織が展開する教育や研究、出版といった活動分野の幅広さに驚いた参加者もいたようです。さらに、cultureという英単語は動詞として使うと「耕す」という意味にもなり、その土地に対して積極的に刺激を与えることで文化が成長するのではないかという話も挙がりました。私たちはしばしば、文化という言葉を伝統と同じ文脈で用い、守り受け継ぐものだと捉えがちですが、絶えず活性化させて新たな文化を育てるという考え方には、はっとさせられます。
その後は、筑後地域の話題に移ります。ある社会人の参加者は、九州大谷短期大学の学食を時折利用することがあるそうですが、学校設備の中にも一般利用が可能なスペースがあることが、なかなか地域住民には伝わっていないといいます。そうした現状から、筑後地域に眠るリソースを調査して、見える化するといいのではという意見もありました。地域資源の調査と情報発信というアイディアは、これまでのディスカッションでもたびたび登場しており、実践活動の方向性らしきものがかすかに見え始めています。
県外の事例として、愛知県の長者町スクール・オブ・アーツによる「ART FARMing」というプロジェクトが、ある参加者から紹介されました。そこでは、長者町を舞台に作家やアートスペースが集まり、まちなかでアートを育むための様々な参加型企画が展開されています。このプロジェクトを紹介した方は、自分たちも彼らのような筑後地域のプラットフォームになれればおもしろいし、実験的な取り組みもできそうだと、コレクティヴちっごへの期待を込めてくれました。
さて、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、第2回以降Zoomを用いたノンクロンが続いています。オンラインは対面でのやり取りに比べ、発言を切り出すタイミングが掴みづらかったり、ボディランゲージなど非言語の表現が制限されたりと、特有の難しさがあります。また、オンラインであるか否かに関わらず、人数が多いと参加者ごとの発言回数に偏りが生じてしまいます。そこで、今回は参加者を2つの小部屋に分け、少人数でディスカッションする時間を設けました。そして、メンバーの組み合わせを10分ごとにローテーションすることで、お互いをよく知り、ざっくばらんにノンクロンしてもらおうという試みです。結果からいえば、この方法はとてもよく機能しました。これまでは、なかなか発言機会に恵まれなかった参加者も積極的に会話に参加できるようになり、そこで交わされる情報量も飛躍的に向上しました。ここでは、そのやり取りの一部を紹介したいと思います。
まず、「さるく」(長崎の方言で「ぶらぶらと歩く」の意)というキーワードが登場していました。長崎県出身の参加者は、子ども時代に長崎市内をさるく学校行事があったそうです。そこで大浦天主堂を訪れたことなどが、楽しかったといいます。その方は学校行事以外で、個人的に市内の観光地に足を運ぶことは少なかったようで、地元住民だからこそ知らないこともあるのかもしれません。また、大浦天主堂の話から派生して、パンデミックが続けば人々は神頼みにならざるをえないという話も挙がりました。信仰は地域の歴史や生活とも密接に結びついていますし、コミュニティとしての機能もあります。コロナ禍において、あらためて信仰という観点から地域への理解を深めるというアプローチも可能かもしれません。
学校で行った演劇ワークショップの話をする人もいました。それは2~3人に分かれて、10分間おしゃべりをするというもので、最終的にはその内容を組み合わせて脚本を作ったそうです。ワークショップの参加者は次第に話に夢中になり、子どもの頃のエピソードや恋愛話など、プライベートに関するトピックもあったようです。その方は、無から何かを作るのは難しいけれど、こうした表現の助けとなる仕組みをあらかじめ設けることで、誰でも気軽におもしろいものが作れるのだと続けます。
学生の参加者からは、本を媒体にした交流イベントを開催したいという案も出ました。それに対して別の参加者は、本に詳しくない人も巻き込んでいく方法として、高校時代の読書会での事例を挙げていました。そこでは、宮沢賢治の「やまなし」をお題にして、「クラムボンの正体は何だと思いますか」という問いを行ったそうです。作品を読み込んでも答えがあるわけではなく、みんなで「ああじゃないか」「こうじゃないか」と自由に話し合うのが楽しかったといいます。何かを通じて人とつながるには、ものを提示するだけではなく、そこに応答が生まれるような仕掛けが必要だと、その方は強調します。人々の相互交流によって、新しいものを生み出していくことは、まさに本企画の核心部といえますし、今後の活動にも積極的に盛り込んでいきたい要素です。
前回に引き続き、オープン・ダイアローグも話題に上がりました。参加者からは、オープン・ダイアローグの学会に出席した際の、次のようなエピソードが共有されました。それは、「この画期的な手法を実現するのにどれだけの時間を費やしたのか」という出席者からの質問に対して、開発者が「1日です」と答えたというものでした。その方は、変革の本質とは存外にシンプルなもので、やろうと思えば明日からできるのだと感じたそうです。その本意からは多少逸れる話かもしれませんが、コレクティヴちっごの参加者も生活の限られた時間を活用しているという観点からも、すぐに始められることから考えていくのは、持続可能な活動のためにも心がけたいところです。
最後に、地元住民の視点と外部からやってきた人の視点というテーマへと、話し合いが展開したことにも触れておきたいと思います。そこで語られていたのは、外部の人にとって地域を知る手がかりとなるのは地元住民の視点であり、その一方で外部の人には地域の事象を俯瞰的に見られる視点が備わっているということでした。コレクティヴちっごの参加者のうち半数以上は筑後地域以外の出身者であり、こうしたメンバー構成が今後の実践活動にどのような影響を与えていくのか興味は尽きません。
オンライン開催が続くディスカッションにおいて、当初ぎこちなさも感じられた参加者同士の情報シェアですが、今回は対話する人数を一時的に制限したことで一定の改善が見られました。参加者からも、会話が弾んだことで今までのなかで一番コレクティヴらしさを感じられたという声もあり、主催者としても手ごたえを感じる回となりました。ディスカッションの内容についても、ただ活動を行うだけではなく、それによって生じるコミュニケーションをメンバーが重視しようとしている点を見逃すことはできないでしょう。次回は全9回のプログラムの中間地点ということで、参加者それぞれが本企画で実現したいドリーム・プランを発表してもらうことになりました。世代も専門もそれぞれ異なる参加者たちが、ここまでのディスカッションを通じて、どのようなプランを描いているのか本当に楽しみです。



- 開催場所
- オンライン開催(Zoomを使用)